聖書を読むとき、文脈に注目することは大切なことです。44節を読むとき、文脈に注目することはとても大切です。
ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた。(44)
一見したところで、それは良いことです。
でも、43節では、著者はヨシャファテを主の目にかなうことを行うために誉めたあと、高き所を取り除けないために批判しました。たぶん、ユダヤ人たちはその高き所で神様を礼拝していたけど、神様はエルサレムだけに礼拝する、特に、いけにえをささげるように命じました。(申命記12:8ー11,13)
その批判のあと著者は、「ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた」と言いました。著者は、ヨシャファテを誉めずに、逆に批判し続けているのです。
でも、43節では、著者はヨシャファテを主の目にかなうことを行うために誉めたあと、高き所を取り除けないために批判しました。たぶん、ユダヤ人たちはその高き所で神様を礼拝していたけど、神様はエルサレムに礼拝する、特に、いけにえをささげるように命じました。(申命記12:4ー11,13)
その批判のあと、著者は、「ヨシャファテはイスラエルの王と友好関係を保っていた」と言いました。著者は、ヨシャファテを誉めずに、逆に批判し続けているのです。
でも、どうして著者はヨシャファテを批判していたでしょうか。平和は良いことでしょう。
普通は、そうです。でも、友好関係を保つ方法が間違っていました。つまり、ヨシャファテの息子はアハブの娘アタルヤと結婚しました。(歴代誌第二18:1)
そして、アハブのようにアタルヤは神様に従いませんでした。さらに、列王記第二11章で、彼女はダビデのすべての子孫を殺そうとしました。
今日の話では、アハブの影響によって、ヨシャファテは主の言葉を無視して、アハブと一緒にアラムと戦いました。ヨシャファテは神の預言者へのアハブの態度を批判したのに、その預言者のことばを無視しました。(8)
その結果は、ヨシャファテが危うく殺されるところでした。そして、ヨシャファテはユダに帰るとき、他の預言者は彼を厳しく責めました。(歴代誌第二19:2)
それでも、ヨシャファテはそのような失敗をもう二回繰り返してしまいました。(歴代誌第二20:35ー37;列王記第二3章)
ソロモンは「知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。 愚かな者の友となる者は害を受ける」と書きました。(箴言13:20)
「愚かな者」とは、単に「バカな人」を意味しません。旧約聖書では、「愚かな者」とは、「神様に反抗する人」を意味します。
もちろん、私たちはそのような人とできるだけ平和を保つべきです。しかし、私たちは彼らに影響されてはならない。そうすれば、ヨシャファテのように、私たちは害を受けてしまいます。
あなたは誰と歩んでいますか。