それでは、これは福音書に関する最後の記事です。さらに、今日から使徒の働きの話を始めます。
以前私が気づいたかどうかわからないけど、多分、使徒の働き1:4で、ルカはルカの福音書24:49に参照したでしょう。その個所では、イエス様は弟子たちに「聖霊様が来るまで、エルサレムで待ちなさい」と命令しました。
とにかく、40日間ぐらい後に、イエス様は弟子たちにベタニヤ、つまりオリーブ山に連れて行きました。
オリーブ山で立っていた時、弟子たちはゼカリヤの預言を覚えていたかもしれません。ゼカリヤの預言によれば、国々がイスラエルを征服した後、主はオリーブ山に来て、その国々と戦って、世の王になります。(ゼカリヤ書14)
もしかしたら、彼らはその預言を思い出したかもしれないので、イエス様に訊きました。
主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。(使徒の働き1:6)
でも、イエス様は答えました。
いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威を持って、定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1:7-8)
多くの人々はイエス様がいつ戻るか気になります。もちろん、イエス様の戻りのしるしに注意した方がいいと思います。でもそれよりも、イエス様が戻るまで、私たちはイエス様からの受けた使命を考えなくてはなりません。それは何でしょうか。それは、福音を宣べ伝えることです。私たちはイエス様の証人となるべきです。
イエス様の証人になるのは、どういうことでしょうか。
基本的に、私たちが見たことや、聞いたことや、知っていることを伝えることです。イエス様があなたの人生に何をしてくださったことを伝えるべきです。あなたが教会で学んだことや、聖書から学んだことを周りの人々に伝えるべきです。私たちはそうすれば、この世を変えます。
でも、私たち自身の中には、世を変える力がありません。私たちの言葉自体は、人の心を変える力がありません。むしろ私たちに住んでおられる聖霊様が、自分の力によって、この世を変えることができます。でも、私たちの力によっては、私たちは何もできません。
だからイエス様は弟子たちに、「よし。あなたたちが、もう知るべきことをもう全部知っているので、行きなさい。この世を変えなさい」と言っていませんでした。
むしろ、イエス様は彼らに言いました。「聖霊様のために待ちなさい。聖霊によるバプテスマを受けるとき、あなたは力を受けます。そのあと、行きなさい。」
私たちはしばしば自分の力と知恵によってミニストリーをしようとします。そうすると、私たちは、いろんなことを成し遂げるかもしれません。でも、私たちが本当にこの世界を変えたいと思うなら、聖霊によるバプテスマが必要です。私たちは聖霊様の力に満たされるべきです。なぜなら、人間的な力や知恵には限界があるから。でも、神様には、限界がありません。
聖霊様、私を満たしてください。私はしばしば、自分の知恵によって、私の力によってミニストリーをしようとしています。でも、あなたを離れては、私は何もすることができません。私がもう自分の力や知恵に生きるのは、もう飽きました。だから聖霊様、私を満たしてください。私があなたのためにこの世に影響を与えるために力を与えてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。