コリント人への手紙第二2:5-11--相手が悔い改めると

人々が私たちを傷つけると、恨みを抱くのは簡単なことです。相手が謝っても、私たちはその人を許したくない時もあります。または、私たちは相手を許してあげると言うけど、心の中でその恨みを手放すことを拒みます。相手が私たちの恨みをまだ感じるので、私たちと話すとき、相手はまだ不安を感じます。

教会のリーダーたちが罪を犯すメンバーを訓練するときも、同じようなことが起こるかもしれません。その人が悔い改めても、リーダーたちもほかのメンバーたちも、その人を勘ぐって、ちょっと敬遠します。

もしかしたら、彼らはこう考えるかもしれません。「相手をすぐに受け入れてはいけません。彼らをもう少し悲しませた方がいいです。そして、その人が十分悲しんでいたと思ったら、彼らを受け入れましょう。」

でもパウロはそんな訓練を教えませんでした。むしろ、パウロはこう言いました。

その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。そこで私はあなたがたに、その人へのあなたがたの愛を確認することを勧めます。(6-8)

「あの処罰で十分」とは、どういう意味でしょうか。たぶん、パウロの意味したものは、処罰がその目的を果たしたことです。つまり、その人は悔い改めたことです。そして、人が悔い改めると、その人を処罰し続ける必要がありません。むしろ、私たちはその人を許して、慰めるべきです。神様が彼らを赦したと伝えるべきだし、私たちも許したことを伝えるべきです。そして、その人に私たちの愛を確認するべきです。

もちろん、私たちが罪を犯すとき、神様は私たちがその罪を悲しむように望みます。でも、二つの種類の悲しみがあります。悔い改めに導く悲しみもありますし、死に導く悲しみもあります。悔い改めに導く悲しみは良いことです。でも、私たちがその人を許さないと、相手が悲しみすぎて、死に導くかもしれません。それは神様の望みではなく、むしろサタンの望みです。

サタンの欲望は、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりすることです。だから、私たちが相手を許さずに、その人があまりにも悲しむと、私たちは神様と協力せずに、むしろサタンと協力しているでしょう。

あなたはどうですか。誰かがあなたを傷つけたでしょうか。または、教会の中で、ある人がひどい罪を犯したでしょうか。その人は悔い改めたでしょうか。そうすれば、神様と協力して、その人を許して、受け入れましょう。

イエス様の言葉を覚えていてください。

あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。(ルカ6:36)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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