コリント人への手紙第一15:35-55--私たちは何になるか

数年前、私は60代の生徒たちと、新聞の記事について話しました。研究者によれば、60ー65歳は、現代の中年になってきました。なぜなら、人間の寿命は増えていますから。

私は、彼らが何歳まで生き続けたいと思うか訊きました。彼らは75ー80歳までだと答えました。私はその意見が理解できます。その年ごろ、私たちの健康は本当に悪くなり始めます。それを特に経験したくないと思います。

それよりも、神様が与えてくださる新しい体を持ちたいと思います。この個所では、パウロはその体について話します。

あるコリント人のクリスチャンたちはパウロに訊きました。「私たちは復活すると、どんな体を持つのでしょうか。」

パウロは、私たちの現在の体を蒔かれた種に例えます。その蒔かれた種は、成長した木と全然違います。

そのように、私たちの埋められた死体は、私たちの新しい体と全然違います。その新しい体はどのように違うでしょうか。

パウロは説明します。

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。(42-44)

私たちの現在の体は年を取りつつあり、結局死にます。でも、私たちの新しい体は決して死にません。私たちが死んだ後、死体は埋められて、腐敗します。でも、新しい体は栄光あるものによみがえらされます。私の現在の体は病気になったり、結局弱くなったりするけど、私たちの新しい体は健やかで、決して病気にならないし、弱くなりません。

私の父のことを考えます。彼は8年前に亡くなりました。事故のせいで、彼は失明しました。最後の数ヶ月は、彼はほとんど歩くことができませんでした。彼は糖尿病があったし、心臓も弱かったのです。最後の数日、彼は話すこともできませんでした。彼ができることは、ただベッドに寝ることだけでした。

父の状態を見るのは苦しいものでした。でも今、父はその弱い体から解放されました。そしてイエス様がこの世に戻ると、最後のラッパの響きのうちに、私の父は新しい体を得て、空中でイエス様と会います。その日、私も新しい体を得て、イエス様と私の父と会います。この世のすべては新しくなって、皆がこの歌を歌います。

死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。(55)

その日を待ちきれません。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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