コリント人への手紙第一14:26--人に与えることができるものを教会に持っていくこと

教会をやめるとき、多くの人々はこの言い訳を言います。「私はその教会から益を何ももらいませんでした。」

つまり、彼らはエンターテインメントを期待したり、いつも教会のメンバーたちから世話してくれることを予想したりしたけど、その期待は満たされなかったのです。だから、教会に行く興味がなくなりました。

でもそれは自分勝手な考え方です。私たちはクリスチャンとしてそのように考えてはいけません。

パウロはこう言いました。

それでは、兄弟たち、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれが賛美したり、教えたり、啓示を告げたり、異言を話したり、解き明かしたりすることができます。そのすべてのことを、成長に役立てるためにしなさい。(26)

パウロによれば、教会に来るとき、私たちはいつも「頂戴、頂戴、頂戴」という態度を持っていてはいけません。むしろ、私たちは、「私は人に何を与えることが出来るだろうか。私はどのように人を励まして強めることが出来るだろうか。」と考えるべきです。

パウロは、牧師たちだけがそのように考えるべきだと言いません。むしろ、パウロは、皆が何かを教会に持って、周りの兄弟たちと姉妹たちに与えるべきだと言いました。一番成熟したクリスチャンでも、洗礼を受けたばかりクリスチャンでも、「私はどうやって人々を祝福することが出来るだろうか」と考えるべきです。

若いクリスチャンでも、自分に感動させた聖書の個所をシェアすることが出来ます。子供でも、イエス様についての歌を歌えます。

ある日曜日、教会から帰るとき、私の娘は日曜学校で学んだ歌を歌いました。「神様はどこですか。神様はここにおられます。あなたがどこに行っても、神様はあなたと共におられます。」

だから、「今日、教会から何の益を得るのだろうか」と考え、自己中心的な態度をもって教会に行かないでください。

むしろ、どうやって人を励まして、強めることが出来るか考えてください。

また、愛と善行を促すために互いに注意を払おうではありませんか。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ、励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。(へブル10:24-25)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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