コリント人への手紙10:23-33--誰を喜ばせようとしているでしょう?

私たちはついにこの個所を終えます。皆さんは忘れていたかもしれないけど、この個所は実際に8章から始まりました。そして、この個所をまとめるとき、パウロはコリント人たちが一番大切な疑問を指摘します。それは、彼らが誰を喜ばせようとしているかということです。

現代のクリスチャンたちも、同じ疑問に直面します。

私は、自分の権利を大事にすることを認めます。そして、私の権利が踏みつけられるとき、私はすぐに怒ります。また、私が値するものが奪われると、気が動転します。くだらない例だけど、人が列に割り込むとき、私は腹が立ちます。

そして、私がどのように妻や同僚や、教会の人たちをどのように扱うか考えます。その時、私の権利を主張するのは簡単なことです。私はフェアのこと、また、私が値することを主張します。

でも、そんなことに集中すると、私たちが実際に誰を喜ばせようとするかを表します。それは、私たち自身です。

「信仰の強い」コリント人のクリスチャンたちはそのような者でした。彼らの傷つきやすい良心のある兄弟たちを気にせずに、その兄弟たちの前で何でもたべました。

また、ノン・クリスチャンに対する彼らの証しが汚れても、彼らは偶像にささげられた肉を食べました。どうしてでしょうか。彼らはその肉を食べる権利を持っていたからです。

11章では、私たちは彼らのわがままの態度をもう一度見ます。彼らは貧しい兄弟たちに恥をかかせて、聖餐式の意味を汚しました。

だからパウロは彼らに訊きました。「誰を喜ばせようとしているでしょうか。あなたたちは、「すべてのことが許されている。」と言います。もちろん、何を食べてもいいです。でも、すべてのことが益になるわけではありません。そしてあなたの行為によって、周りの人々を傷つけています。」

そしてパウロはこう言いました。

だれでも、自分の利益を求めず、ほかの人の利益を求めなさい。(24)

要するに、「自分の益を他の何よりも大切にするな。また自分の権利と自由を他の何よりも大切にするな。周りの人々をその物よりも大事にしなさい。もし、兄弟たちやノン・クリスチャンのために肉をやめる必要があれば、そうしなさい。」

どうしてでしょうか。

なぜなら、最終的に私たちは一人の方だけを喜ばせなくてはならないから。それは私たち自身ではありません。むしろパウロははっきり言います。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。(31)

あなたはどうですか。だれを喜ばせようとしているでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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