コリント人への手紙10:1-11ーー聖書の話の目的

多くのクリスチャンたちは旧約聖書を避けて、新約聖書だけを読みます。なぜなら、彼らは、新約聖書に最も大切なことが書いてあると思うから。

もちろん新約聖書には、イエス様の十字架の働きや、恵みのゆえに信仰によって救われることなどは、もっとはっきりと書いてあります。でも、新約聖書の著者たちは旧約聖書を不必要なものとして捨てませんでした。

むしろ、彼らは何回も旧約聖書を指しました。彼らは旧約聖書から引用したり、旧約聖書の話について話したり、その話から応用を教えたりしました。イエス様も、使徒たちもそうしました。

だから、私たちもそうしなくてはなりません。

10章の最初では、パウロはイスラエル人の砂漠の旅を思い出して、話します。そして、パウロはコリント人たちにこう言いました。

これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。(6)

また、

これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。(11)

パウロは特に偶像礼拝や、性的な罪や、神様に対する不信について話しています。そして、パウロによれば、私たちはこんな話を読むとき、その教訓を学ばなくてはなりません。

実は、どんな聖書の話を呼んでも、私たちはそうするべきです。不信者と違って、童話としてその話を読むべきではありません。また、ただの歴史的な話として読んではいけません。

むしろ、聖書を読むとき、私たちはこう祈るべきです。「神様、私に何を教えたいと思いますか。私に何を伝えたいと思いますか。」

そんな心を持てば、神様は私たちに教えてくださいます。このブログで、私はその模範を与えようとしています。私は事実だけを言っていません。私たちの人生に対する応用を教えようとしています。

でも、私たちの子供たちのためにそうするべきです。私たちの子供たちに聖書の話を教えるのはとてもいいことです。でもその応用を簡単に説明した方がいいです。

例えば、「神様は私たちのニーズに備えることが出来ます。」(神様はエリヤに食べ物を与える話、または、神様はイスラエル人にマナを与える話。)

または、「神様に従うことは大切なのです。」(アダムとエバの話です。)

とにかく、覚えていてください。聖書の話はただの話ではありません。神様は私たちの教訓、私たちの益のためにその話を与えてくださいました。

あなたはその考え方をもって、聖書をを読むでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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