コリント人への手紙9:6ー15--私たちの牧師たちを経済的に支えること

「どうして教会に献金をささげるべきでしょうか。十一献金は新約聖書の教えではありません。」

多くのクリスチャンはそんなことを言います。十一献金は新約聖書の教えじゃないかもしれないけど、牧師たちを経済的に支えることは新約聖書の教えです。

パウロはこう書きました。

はたして、自分の費用で兵役に服す人がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない人がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない人がいるでしょうか。(7)

簡単に言うと、そんな人などいません。そして、最後の二つの例の要点は、はっきりしています。もし何かの手入れをするなら、そのものから益をもらうべきです。もしぶどう園を造り、手入れをするなら、その実を食べる権利を持つべきです。もし羊を飼うなら、その乳を飲む権利を持つべきです。

そのように、牧師が人々の世話するなら、その人々から益を受けるべきです。

そしてパウロはモーセの律法を指します。神様が言ったのは、脱穀をしている牛は地面に落ちた穀物を食べる権利を持っていることです。

パウロはその律法を参考にして、「神様は牛よりも人を愛しています。だから、畑で働いている人も、その仕事のから益をもらうべきです。」と言っていました。

そして、パウロはその原則をキリストのしもべたちに当てはめます。

私たちがあなたがたに御霊のものを蒔いたのながら、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか。ほかの人々があなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちは、なおさらそうではありませんか。(11-12a)

そしてパウロは、宮に奉仕する人は宮から下がる食べ物を食べ、祭壇でいけにえを捧げる祭司たちが、その肉を食べていることを指摘します。

パウロはその話をこのようにまとめます。

同じように主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活の支えを得るように定めておられます。(14)

自分の理由で、パウロはその権利を譲りました。でも、私たちが牧師たちをパウロのように生活するように強制するべきというわけではありません。牧師たちが教会の外の仕事をするのは、あまりよくないことです。

どうしてでしょうか。彼らがその外の仕事をすると、彼らに神様が与えた教会の人々をちゃんと世話できないから。彼らのメッセージを準備する時間は少なくなります。人々を訪問する時間、また、相談に乗る時間も少なくなります。教会のための祈りの時間も少なくなります。

教会の経済のせいで、私の牧師はずっとそんな生活をしなくてはなりませんでした。それは仕方がないかもしれません。だから私の牧師は頑張りました。私の牧師に本当に感謝しています。

でも、それは理想的な状況ではありません。もし、牧師たちが外の仕事をしなくてはならないなら、彼らが私たちのために時間を取ることが出来ないとき、私たちは、文句を言うことができないでしょう。

イエス様は、私たちが牧師たちを経済的に支えることを命令しました。あなたはそうしているでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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