コリント人への手紙第一4:1-5--忠実だと認められること

使徒ヤコブはこう書きました。

私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。(ヤコブの手紙3:1)

私は聖書を教える立場なので、私にとってそれはちょと恐ろしい言葉です。神様は私にみ言葉を与えたし、そのみ言葉を教える賜物を私に委ねました。だからパウロの言葉も、私の心を打ちます。

その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。(4:2)

でも、私たち皆が神様からゆだねられたものを持っています。神様は私たちにいろんな資源や、賜物や、才能を委ねました。そして、神様は、私たちがその物を忠実に使うことを期待します。私たちがそうしないと、私たちは神様に責任を問われます。

神様は私たちの裁判官なので、私たちはほかの人よりも神様を喜ばせようとしなくてはなりません。私たちは最終的に牧師や、教会の人や、ほかの人ではなく、神様だけを喜ばせなくてはなりません。

だから、私たちはいつも自分の心を探らなくてはなりません。私たちの動機は何でしょうか。私たちは正しい動機を持って、神様に仕えているでしょうか。私にも自分の動機について疑いがあります。裁きの日にキリストが私に何を言うかちょっと恐れます。イエス様は何を言うでしょうか。

パウロにはやましいことは少しもありませんでしたけど、パウロも自分の動機に関して、ちょっと疑いがありました。彼はこう言いました。

しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。(3-5)

たぶんパウロの要点の一つは、私たちが自分の心をプライドから守らなくてはならないことです。あなたの動機は正しいと思うかもしれないけど、あなたの自己評価が正しいとは限りません。

預言者エレミヤはこう書きました。

人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。(エレミヤ書17:9)

主はこのように反応しました。

わたし、主が心を探り、心の奥を試し、それぞれその生き方により、行いの実にしたがって報いる。(エレミヤ書17:10)

だから何をしても、自分の心を探りましょう。また、主があなたの心を探るように祈りましょう。主が私たちの動機を現すように祈りましょう。そうすれば、私たちは謙遜な態度を保つし、私たちに委ねられたものを忠実に使います。

あなたはどうですか。神様からゆだねられたものを忠実に使っているでしょうか。

 

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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