コリント人への手紙1:1-9--清められて、聖なる人生を送るように呼ばれた

この手紙を読むと、私たちはコリントの教会にはいろんな深刻な問題があったことが分かります。

その問題を考慮に入れて、この教会に関するパウロの言葉は驚くべきものです。パウロはその教会の人々を聖なる者と呼んだし、彼らが聖徒として召されたと言いました。

彼らの問題を考慮に入れると、コリント人のクリスチャンたちを聖なる者を呼ぶのはふさわしくないようです。なぜなら、彼らは聖徒だったかもしれないけど、聖徒として歩んでいなかったのですから。

でも神様は私たちの現在の状態だけを見ずに、私たちの将来をも見ます。だから、兄弟たちと姉妹たちを見ると、私たちはそれと同じ態度を取るべきです。私たちは彼らの現在の状態だけを見ずに、彼らをキリストに聖別された人々として見るべきです。彼らはキリストのものです。

そしてパウロのように、私たちは彼らを聖徒として歩むように励ますべきです。私たちは、彼らがもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったイエス様のために生きるべきだと言うことを思い出させるべきです。(第二コリント5:15)

それだけではなく、私たちは自分自身にそのことを思い出させなくてはなりません。

私たち自身を見るとき、がっかりするのは簡単なことです。なぜなら、私たちは自分の罪を見て、どうして神様が私たちを受け入れられるか疑問に思うから。でも、神様が私たちをもう受け入れていることを思い出しましょう。神様は自分のために私たちを聖別しました。だから、そのように歩みましょう。

でも、私たちが自分の力で歩む必要はないと覚えていてください。パウロはこう言いました。

主はあなたがたを最後まで堅く保って、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところがない者としてくださいます。神は真実です。その神に召されて、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられたのです。(8-9)

私たちはいつも忠実な人ではありません。でも神様はいつも忠実な方です。そして、私たちが責められるところがない者としてキリストの前に立つ日まで、神様は私たちの人生に働くことをやめません。

あなたはどうですか。あなたの兄弟たちと姉妹たちを見るとき、どんな人を見るでしょうか。自分自身を見るとき、どんな人を見るでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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