ローマ人への手紙9:1-29--神様の選びと言う疑問。神様の選びの不思議さ。(5)

予定説に関するもう一つの疑問について話したいと思います。私が以前に言ったのは、もし神様が人の心の中で働かないなら、救われる人が誰もいないことです。それなら、どうして神様はすべての人々の心の中で働いて、すべての人々を救わないでしょうか。

正直に言うと、私はわかりません。たぶん、私が理解できない要素があるでしょう。さらに聖書では、神様は自分の理由を説明してくれません。

でも、私たちは二つのことを覚えているべきです。

一つ目は、神様が人の信仰をとても大切にすることです。でも、信仰とは、目で見えなくても神様に信頼することです。

しかし、ある人にとっては神様を信じる前、彼らは自分の目で神様を見たいのです。彼らは基本的に言います。「神様の存在の証拠があると認めるけど、自分の目で見ないなら、私は神様を信じない。」

でも、それは信仰の態度ではありません。さらに、多くの場合、その言葉は反抗的な心から来ます。だから多くの場合、神様はその要望を叶えません。

しかし、もう一つのことを考えてみてください。神様は人々の人生の中で働くとき、多くの場合、クリスチャンを通して働きます。そして、神様は私たちにこの世の人々に福音を述べ伝える責任を与えました。神様は天の御国の鍵を私たちに与えてくださいました。それを使わずに、福音を伝えないなら、私たちは神様に問われます。(エゼキエル33:7-9)

でも、神様は私たちがその鍵を使うことを強制はしません。

だから、人々の人生の中で働くとき、神様は二つの方法を使うことができます。神様は直接働くことができます。つまり神様は直接自分自身を現すことができることです。でも、神様は信仰を望むから、その方法をほとんど使いません。

ほかの方法は神様は人々を通してほかの人々に触れることです。でも、神様はクリスチャンたちに福音を伝えるように強制しません。

そういうわけで、たくさんの人々は救われません。

神様はの考え方は正しいでしょうか。神様が私たちの創造者で、すべてのことを知っていて、私たちはただの人間で、私たちが少ししか知らないので、神様の判断を問うことができないと思います。

だから予定説に関して考えるとき、結局アブラハムのように私たちはこう言うべきだと思います。

全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。(創世記18:25)

結局私はそう思います。そして、神様が公正を行うことを信じます。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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