ローマ人への手紙6章ーー惨めな人生に戻ること

パウロはこの言葉を書いたとき、出エジプトの話を考えたでしょう。第一コリント10章では、パウロはその話に触れて、イスラエル人が紅海を渡ることをバプテスマと比べました。

この個所でも、いろんな意味でパウロの言葉は、イスラエル人がエジプトから救い出された経験を反映します。彼らはエジプトで死にかけていました。彼らは奴隷で、惨めな人生を送りました。

イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼ら叫びは神に届いた。(出エジプト記2:23)

そして、神様は彼らを救い出しました。でも、砂漠を渡るとき、彼らはいろんな試練に直面したので、ぼやき始めました。

エジプトの地で、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたときに、われわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。(出エジプト記16:3)

そのあと、神様が彼れらに与えると約束した地に入る直前、彼らの信仰が揺れて、彼らは「エジプトの方がいいです。新しいリーダーを選んで、エジプトに帰りましょう。」と言いました。(民数記14:3-4)

この個所では、パウロは似た状態に臨みました。パウロは「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました」と言いました。でもパウロの経験では、そんなことを言うと、よく聞かれた質問が出ました。だから、彼はこう言いました。

それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。(1)

彼の答えは?

決してそんなことはありません。(2)

そのあと、パウロは、クリスチャンたちが律法の下にではなく、恵みの下にあると言いました。だから、もう一度パウロはよく聞かれた質問を出します。

では、どうなのでしょう。私たちは律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。(15)

もう一度、パウロは答えます。

決してそんなことはありません。(15b)

どうしてでしょうか。パウロは説明します。

罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。(2-4)

つまり、私たちは以前に罪のうちに生きていたけど、クリスチャンになると、そんな生き方に対して死んだということです。むしろ、今私たちは新しい人になって、より良い人生を送ります。今や私たちは神様との関係を持っています。(10)

そうならば、どうして古い人生に戻りたいのですか。

でも、多くのクリスチャンたちはイスラエル人たちのようです。彼らは紅海を渡ったとき、奴隷の人生に対して死にました。彼らは新しい人になりました。新しい人生を送る自由を持っていました。勝利のある人生を送る自由を持っていました。

でもかえって、彼らは「古き良き時代」を回顧し始めました。彼らはエジプトのおいしい食べ物を思い出しました。そして、彼らは奴隷の惨めな人生を忘れて、「エジプトに帰りましょう」と思いました。

罪は本当に欺瞞的なものです。私たちはすぐに罪の快楽を思い出すけど、罪から生まれる惨めを忘れてしまいます。

だからパウロはこう言います。

あなたがたは、罪の奴隷であったとき、義については自由にふるまっていました。ではそのころ、あなたがたはどんな実を得ましたか。今では恥ずかしく思っているものです。それらの行き着くところは死です。(20-21)

つまり、「あなたは罪に治まれる人生に戻りたいのですか。そんな人生の惨めさをもう忘れてしまったでしょうか。そんな人生は恥に至ったし、おまけに死に至りました。そんな人生に本当に戻りたいのですか。

だからパウロはこう言いなした。

また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。(13)

どうして私たちはそうするべきでしょうか。

(あなたは)罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。(22)

私たちの命を神様にささげると、私たちの人生は聖いものになります。言い換えると、私たちは、神様が計画通りに生き始めます。私たちの人生は健全なものになります。そして、私たちは本当の命を得ます。

でも一番良かったのは、この賜物はただです。その賜物の価値を把握するなら、私たちは決して死に至る人生に戻らないでしょう。

罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(23)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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