ローマ人への手紙4:4-16--救い:賜物?当然支払われるべきもの?

この個所では、パウロはとても大切な疑問について話します。救いや永遠の命は神様からの賜物でしょうか。もしかしたら、それらは、当然支払われるべきものでしょうか。

パウロははっきりと答えます。

働く者にとっては、報酬は恵みによるものではなく、当然支払われるべきものと見なされます。しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。(4-5)

従業員が働くと、給料日に上司はその人に「あなたの給料を振り込みました。私はとても気前がいい人ですね。」とは決して言わないでしょう。上司がそんなことを言うと、たぶん従業員は心の中でこう考えるでしょう。「どういうことなんだろう。気前がいいだって?私たちには契約があるだろう。私がちゃんと働いたので、会社は給料を払うべきだろう。」

でも、私たちはそんなことを神様に全然言えません。私たちが赦されて、永遠の命を得る理由は、私たちが完全に律法を守ったわけではありません。律法を守ったことによって、神様の子供になったわけではありません。

むしろ、パウロはこう言います。

実際、律法は御怒りを招くものです。(15)

要するに、どんなに頑張っても、私たちは失敗します。

私はこう言うかもしれません。「前回は失敗したけど、これから頑張って律法を完全に守ります。」

でも、結局私たちは律法を違反して、神様の怒りをもたらします。

旧約聖書の時代、ユダヤ人たちはその真理をよく学びました。だから、神様は彼らにこう言いました。「この律法に基づいた契約はうまくいっていません。もちろん、律法は良いけど、あなたがたは罪人で、その律法を完全に守ることができません。だから私は新しい契約を作ります。その契約はあなたの行為によらず、私の行為によります。」

エレミヤ書31:31ー34では、私たちはその新しい契約を見ます。

見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ。

その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破った──主のことば──。

これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである──主のことば──。

わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るようになるからだ──主のことば──。わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」

要するに、「あなたがたはもはや自分自身を変える必要がありません。私があなたがたの心を変えるので、あなたは良いことができるようになります。また、私とあなたがたの間に、もう仲介する祭司が要りません。あなたがたが私と直接な関係をもって、私はあなたがたの罪を全部赦します。」ということです。

その新しい契約は何に基づいているでしょうか。最後の晩餐の時、イエス様は弟子たちにこう言いました。

また、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」27また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの(新しい)契約の血です。(マタイ26:26-28;ルカ22:19-20)

だから、私たちの救い、私たちの神様との関係は、私たちの行為に基づいていません。私たちの行為によって、神様の怒りに値します。むしろ、救いは、イエス様の十字架の働きに基づいた賜物です。

律法が存在する前に、神様はアブラハムにその賜物を与えてくださいました。そして、神様は同じ賜物を私たちに与えてくださいます。アブラハムは信仰によって受け入れられて、その賜物を受けました。そのように、私たちも信仰によって、受け入れらて、その賜物を受けます。

だから、パウロはこう言いました。

そのようなわけで、すべては信仰によるのです。それは、事が恵みによるようになるためです。こうして、約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持つ人々だけでなく、アブラハムの信仰に倣う人々にも保証されるのです。アブラハムは、私たちすべての者の父です。(16)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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