使徒の働き17章16-20--憤りを覚えること

私たちがこの世の悪を見ると、もう気にならなくなるのは簡単なことです。もしかしたら、最初は私たちが見た悪のため、私たちは本当にそれが気になったかもしれません。でも、時間が経てば経つほど、私たちはその悪を見ることに慣れてきました。だから、私たちはもうその悪にほとんど気づきません。

でも、パウロはそうしませんでした。彼はアテネに行ったとき、たくさんの偶像を見ました。彼の反応は?

パウロは。。。町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。(16)

その「憤り」の原語は、新約聖書の中で、もう一つの個所だけで現れます。皮肉的なことだけど、そのほかの個所では、パウロは「愛は苛立だず」と言いました。

でも、今日の個所では、パウロは憤入りを覚えました。なぜでしょうか。この偶像のせいで、多くの人々は地獄に行っていたから。サタンは彼らをだましていて、苦しめていました。だからその人々が救われるように、パウロは大胆に福音を述べ伝えました。

あなたはどうですか。

周りの悪を見ると、あなたは憤りを覚えるでしょうか。不正を見ると、憤りを覚えるでしょうか。人々が悪いことを「良いこと」と呼ぶとき、あなたは怒るでしょうか。サタンが人々の命を滅ぼすとき、あなたは怒りを感じるでしょうか。

何も感じないなら、あなたの心の中で、何かが正しくありません。聖霊様があなたの心に住んでおられるなら、あなたは悪を見ると、無関心な態度を取ってはいけません。私たちは聖霊様に導かれて、この世に塩と光になるべきです。

イエス様はこう言いました。

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、018家にいるすべての人を照らします。(マタイ5:13-15)

あなたはこの世の悪を見ることに慣れすぎて、あなたは塩気をなくした塩になったでしょうか。悪に対するあなたの無関心な態度で、隠された光になったでしょうか。

私たちがそんなものにならないように。むしろ、私たちが周りの人々に触れるほど、悪に憤りを覚えるように。

沈黙で、悪を見ずに、神様の光として、この世に行って触れましょう。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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