使徒の働き2:42-47--主の体を軽んじること

教会をやめた人について考えると(前回の記事を読んでください)、私はもう一つのことが思い出しました。それは聖餐式のことです。残念なことですが、多くのクリスチャンたちは聖餐式が何を意味するか、何を象徴するか深く考えません。

使徒の働き2:42では、ルカは使徒の時代のクリスチャンについてこう書きました。

彼らはいつも。。。パンを裂き「ました」。

もしかしたら、ルカは、彼らがただ一緒に食べたことを、意味したかもしれません。でも第一コリント11章によれば、教会では、しばしば聖餐式はその食事の時間の部分でした。

聖餐式とは、何でしょうか。それは十字架のことを思い出すこと。その前の晩、弟子たちと食べた時、イエス様はパンを裂いて、こう言いました。

これはあなたあたのための、わたしのからだです。私を覚えて、これを行いなさい。(第一コリント11:24)

そして、イエス様は杯を取って、こう言いました。

この杯は、わたしの血による新しい契約です。飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。(第一コリント11:25)

一つのことに注意してください。聖餐式は、クリスチャンたちが一緒にすることです。私たちはそのパンを裂いて、分け合います。どうしてでしょうか。

理由の一つは、私たち皆はキリストの体に属するから。イエス様を信じる人々のすべてのために、イエス様は十字架で死んでくださいました。イエス様は、あなたが好きなクリスチャンだけのために死んだわけではありません。

ちょっと考えてみてください。最初の聖餐式で、その瞬間、弟子たちが本当に互いに愛し合っていたでしょうか。

そのさっき、彼らは、弟子たちの中で誰が一番か議論したばかりです。弟子たちの間で、皆の足を洗ってあげる人が誰もいなかったので、イエス様はそうしなくてはなりませんでした。

また、彼らの人格を考えてください。例えば熱心党員と呼ばれていたシモンとマタイを考えてください。イエス様に出会う前に、シモンはローマ帝国に逆らおうと思いました。でもイエス様に出会う前、マタイはローマ帝国のために働いていました。彼らは本当に親友だったでしょうか。

そんな難しい関係があったので、イエス様は彼らに命じなくてはならなかったでしょう。「互いに愛し合いなさい」。もし彼ら皆がとても親しい関係を持っていたら、イエス様はそのことを言う必要がなかったでしょう。

でも聖餐式を一緒にするとき、彼らは思い出しました。「私たち皆はイエス様に属します。私たち皆は、イエス様にあって、一つです。」

だから、パウロはコリント人たちに怒りました。彼らはいつもケンカして、どっちのリーダーが一番偉いか議論していました。それに彼ら皆はキリストの体に属していたのに、金持ちは、貧しい人々を見下しました。でも彼らを見下すことで、実は、金持ちはイエス様の教会を軽んじました。(第一コリント11:22)

だから、パウロはこう言いました。

したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。(第一コリント11:27)

主のからだと血に対して罪を犯すとは、どういう意味でしょうか。その人々は、イエス様の捧げた血とからだを軽んじて、罪を犯しました。

彼らは基本的にこう言いました。「イエス様、あなたがその人のために死んでくださったことをよく知っています。でも私は、そのことに気にしません。私自身は、その人と全然関係ないのです。」

そんな態度を持つと、あなたは、主のからだ、つまり主の教会に罪を犯します。なぜなら、あなたがそのクリスチャンが好きでも嫌いでも、その人はイエス様のからだに属するから。

だから、相手に怒るとき、相手が嫌いな時、相手と争う時、聖餐式に参加すると、あなたの相手に対する態度を考え直さなくてはなりません。

だからパウロはこう言いました。

だれでも、自分自身を吟味して、その上でパンを食べ、杯を飲みなさい。(第一コリント11:28)

この個所の文脈に従えば、それは、あなたが兄弟たちや姉妹たちとの関係を吟味しなくてはならない、という意味です。

残念なことですけど、教会をやめる人々はそうしません。もし彼らがまだ聖餐式に参加するなら、彼らが好きな人だけと一緒にします。彼らの悪い人間関係を全然吟味しません。彼らは相手と和解を求めません。むしろ、彼らはその人を避けます。でもそうすれば、彼らはキリストのからだと血を軽んじてしまいます。

あなたは、「私はまだクリスチャンだけど、教会をやめた」と言うなら、自分自身にこの質問を訊いてください。

「一対一で、私がやめた教会の人の皆と聖餐式をする機会があれば、私はその機会を利用するだろうか。そのとき、私たちはこう言えるでしょうか。「イエス様と天の父が一つであるように、私たちは一つです。私たちの一致によって、この世は、天の父がイエス様を遣わしたことがよく分かるでしょう。」」(第一ヨハネ17:21-23)

あなたがまだ教会に行っても、どのように聖餐式をするでしょうか。兄弟たちや姉妹たちとの関係は良いでしょうか。もしくは、あなたはイエス様のからだと血を軽んじるでしょうか。覚えていてください。イエス様はあなただけのためではなく、あなたが軽蔑するクリスチャンのためにも死んでくださいました。だから、その関係を吟味して、その人に対するあなたの態度を考え直すべきです。

 

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: 新約聖書, 使徒の働き タグ: , パーマリンク

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