使徒の働き2:42-47--クリスチャンの交わりに専念すること

この記事は前回の記事の続きです。その記事で、私は教会をやめる人について話しました。彼らの一つの文句は、彼らが教会で訓戒されることを飽きたことです。また、彼らは「もう知っている」と言う態度を持ちました。

今日もっと大切な問題について話したいと思います。多分、多くの人々が教会をやめる理由は、説教ではなく、人間関係です。つまり、人々はリーダーたちやほかの教会のメンバーたちと気が合わないことです。

私の友達の掲載した記事を読んだとき、私はちょっと混乱しました。その記事のインタビューされたクリスチャンの一人は、「人間関係の問題のせいで、私は教会をやめるわけではありません。私はかッとして、急にやめたわけではありませんでした。私は、教会をやめる決断をじっくり考えました。」と言いました。

でも、その記事に、その人のやめる理由は書いてありません。

その人は、人間関係の問題を控えめに言います。でもその記事(とコメント欄)を読むと、はっきりするのは、多くの場合、人間関係の問題が教会をやめる問題の根本だということです。

ある人々は、教会の方向に関して、リーダーたちに賛成できませんでした。

ある人々は、彼らに対するリーダーたちの行動を批判しました。

ある人々は、教会の愛の欠乏に関して文句を言いました。

だから、彼らは教会やめてしまいました。

でも、使徒の時代、クリスチャンたちはそうしませんでした。

新改訳では、翻訳者たちは「守り」(別訳、「専念」)という言葉を使徒たちの教えだけに繋ぎます。でもほとんどの英訳では、翻訳者は「専念」という言葉を「使徒たちの教え」だけではなく、交わりや、パンを裂くことや、祈りに繋ぎます。

だから、私たちはその個所をこのように翻訳できます。「彼らはいつも。。。(クリスチャンの)交わりに専念していました。」

つまり、彼らはクリスチャンの交わりに熱心を持っていました。

私の友達の一人は、その記事を読んで、こう言いました。「まあ、私はもう教会に行かないけど、クリスチャンの友達がいて、私たちは霊的な成長や、個人的な成長のために、互いに励まし合いますよ。」

彼らが本当にそうしたら、いいことだと思います。でも、具体的に彼らは何を意味するでしょうか。彼らは一週間に一回ぐらい電話するでしょうか。一か月に一回?一年に一回?

彼らはその友達と時間を過ごし、互いに話し合い、励まし合い、もし必要があれば、訓戒し合うでしょうか。彼らにとって、そのことをするのは、優先度が高いでしょうか。

彼らは一緒に祈ることに専念するでしょうか。

彼らは一緒にパンを裂くでしょうか。

もしかしたら、彼は先に仕事や、家族や学校を優先して、時間があれば、ほかのクリスチャンとの時間を割くでしょうか。

でも、使徒の時代のクリスチャンたちは交わりを優先しました。

信者となった人々はみな一つになって、一切のものを共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし(ました)。。。(44-46)

彼らは交わりに熱心を持ったので、毎日宮に集まりました。彼らは家々に時間を過ごしました。そして、他のクリスチャンたちのニーズを満たしました。

その結果は?

主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。(47)

どうして、教会は成長したでしょうか。イエス様は私たちにその理由を説明します。イエス様は弟子たちにこう言いました。

互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(35)

ちょっと注意してください。イエス様は「あなたがたがすべての人々に対する愛があるなら、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」と言いませんでした。

イエス様は「互いに間に愛があるなら。。。」と言いました。

もちろん、私たちは教会の外の人を愛するべきです。また、私たちはいつも教会の人たちを愛することに焦点を当ててはいけません。私たちは教会の外にいる人に触れるべきです。

でも、この世の人々が私たちを見るとき、私たちが喧嘩したり、怒り合ったり、許し合わないし、苦々しい思いを持つことを見るなら、彼らはどう思うでしょうか。

この会話をちょっと想像してください。あなたは友達にイエス様のことをずっとシェアして、彼らは「じゃあ、あなたの教会に行きたいと思うけど」と言います。でも、あなたは「実は、私はもう教会に行かない」と言います。彼らが「どうして」と訊いたら、あなたはどう答えるでしょうか。

「まあ、人間関係の問題があって。。。」

「ちょっとリーダーたちと教会の方向に関して喧嘩してしまったので。。。」

相手はそれを聞いて、どう反応するでしょうか。イエス様が教会を愛して、その教会のために死んだのに、あなたがその教会の悪口を言ったら、彼らはクリスチャンになりたいと思うでしょうか。

第一ヨハネ4:20をちょっと言い直して、あなたの心にぐっと来るかもしれません。

「神を愛すると言いながら兄弟と交際することを拒むなら、その人は偽り者です。見える兄弟と縁を切る者に、目に見えない神を愛することはできません。」

もし、教会の兄弟たちや姉妹たちと交際することを拒むなら、あなたが神様を愛することを主張できるでしょうか。もしその縁を切るなら、あなたは本当に神様を愛することを主張できるでしょうか。

友達を愛するのは、簡単なことです。

兄弟たちや姉妹たちが欠点があっても、あなたは彼らを愛するでしょうか。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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