使徒の働き2:42-47ーーみ言葉に専念すること

数年前、私の友達はFacebookで記事を掲載しました。そのタイトルは、「教会をやめた人」でした。

その話では、ある敬虔なクリスチャン、つまり、聖書をよく勉強したクリスチャン、惜しげもなく献金をささげたクリスチャン、また、熱心に人々を導いたクリスチャンが、教会をやめてしまったということでした。

その人は自分の信仰は捨てなかったようです。でもその人は教会をやめました。その人は、「教会の中で、私は最も積極的な人の一人だったし、最も忠実な人の一人だった」と言ったのに、教会をやめました。

その人はいくつかの理由を与えていましたので、私は以後数日にわたって、そのことについて話したいと思います。

正直に言うと、私が愛している人々がその著者の意見に同意すると言うと、私は本当に悲しみます。

その著者の一つ目の理由は、「私は牧師のメッセージを何百も聞いたので、もう分っているし、訓戒されるのは、もう嫌です。」と言うことです。

でもこの個所では、教会の模範、また、クリスチャンの生活の模範を見ます。

今日、一つのことに焦点を当てたいと思います。

彼らはいつも、使徒たちの教えを守り[ました]。(42)

新改訳で、「使徒たちの教えを守る」と書いてあるけど、その「守る」と翻訳された言葉はいろんな意味があります。だから、翻訳者は、使徒の働き1:14で、その言葉を「専念する」と訳しました。(それは、第3版です)。また、使徒の働き6:4で、彼らはその言葉を「励む」(第3版)、また、「専念する」(第4版)と訳します。

要するに、私たちはこの個所をこのように翻訳することができます。「彼らはいつも使徒たちの教えに専念しました。」

多くの英語の聖書では、42節はそのように翻訳されています。

とにかく、そのクリスチャンたちは、神様の言葉に熱心を持っていました。彼らはその言葉を知りたいと思いました。彼らはその言葉に従いたいと思いました。

だから、「訓戒さられるのはもう嫌だ」と言う人に、私はこう訊きたいと思います。

「あなたはみ言葉にどれだけ専念するでしょうか。聖書が本当に神様のみ言葉であること信じるでしょうか。その使徒の働きの時代のクリスチャンのように、あなたはみ言葉に対する強い熱心を持っているでしょうか。

もしくは、あなたは、聖書にある教えがもう古臭いと思うでしょうか。その教えがあなたの人生に関係ないと思うでしょうか。」

もちろん、説教するときに、人を見下す牧師もいます。彼らは「もうたどり着いた」という態度を表現するかもしれません。その場合、私は、教会をやめた人の文句が分かります。でも、それは本当の問題でしょうか。

ちょっと自分自身に、この質問を訊いてください。

「私が聖書を読んで、聞きたくないことを見ると、私は訓戒される感じがするだろうか。」

残念なことだけど、多くのクリスチャンたちが聖書を読むとき、好きな個所だけを読みます。でも彼らが聞きたくない言葉のある個所を避けてしまいます。そういうわけで、教会に行くとき、「私は訓戒されている」と感じます。

でも、私たちがクリスチャンなら、み言葉に専念しなくてはなりません。励ましや慰めの言葉でも、挑戦や訓戒の言葉でも、私たちはその言葉に専念するべきです。

「何百のメッセージを聞いていたし、もう分っている」という文句に関して、私たち自分自身に同じような質問を訊くべきだと思います。

「聖書を読むとき、私はもう何も学んでいないだろうか。もう全部読んだので、知っているだろうか。もしくは、神様はその言葉を通して私にまだ話しているだろうか。」

正直に言うと、私は、もう全部読んだ事があるし、メッセージの内容を聞いたことある、という感じはよくわかります。それでも、二つのことを言いたいと思います。

一つ目は、私が40年来のクリスチャンだけど、私はまだ学んでいることです。私が聖書を読むとき、また日曜日のメッセージを聞くとき、神様は私に新しいことを示すときもあります。その時、私は本当に興奮します。

二つ目は、あなたは同じことを何回も聞いたことあるかもしれないけど、その言葉に従っているでしょうか。その言葉はあなたの頭からあなたの心に移動したでしょうか。

例えば、あなたは許しのメッセージを何回も聞いたことあるでしょう。でも、あなたを傷つけた人をもう許してあげたでしょうか。あなたは怒りと苦々しい思いを手放すことの大切さに関して聞いたことあるけど、その怒りと苦々しい思いをもう手放したでしょうか。

要するに、あなたの人生に、神様の言葉は生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、あなたの心の思いやはかりごとを見分けているでしょうか。(へブル4:12)

もしくは、その言葉はあなたの左の耳に入るけど、右の耳から出ていくでしょうか。

もちろん、私はあなたの経験をよく知りません。教会をやめた人の経験をも知りません。

もし、あなたの牧師がいつも皆さんを見下しながら、説教するなら、あなたは別の教会に行った方がいいかもしれません。

でも、それは本当の問題でしょうか。

もしくは、問題は神様のみ言葉に対するあなたの態度でしょうか。

 

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: 新約聖書, 使徒の働き タグ: , , , パーマリンク

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