マタイ28:1-20;マルコ16:1-8;ルカ24:1-12;ヨハネ20:1-18--いつも私たちと共におられる方

イエス様の復活に関して、二つの注意事項を言いたいと思います。

一つ目は、私がマルコ16:9-20を飛ばすことです。なぜなら、多くの聖書学者によれば、マルコはその言葉を書いていなかったから。

どうして、マルコは具体的にイエス様の復活に関して話さなかったでしょうか。私は三つの意見を聞いたことがあります。

一つ目は、その福音を終える前にマルコが亡くなったことです。

二つ目は、元のエンディングはなぜかなくなったことです。

三つ目は、もしかしたら、使徒の時代に、教会で牧師がマルコの福音書を読んだ後、イエス様の復活を見た人々が自分のあかしを伝えたかもしれません。

とにかく、マルコが亡くなった後、現在のエンディングが加わったらしいです。

私の二つ目の注意事項は、イエス様の復活に関して、四冊の福音書の話を統合するのはとても難しいことです。だから、できるだけ、私はその復活の話の順番を伝えようとするけど、それはただ私の意見です。

でも、どの福音を読んでも、基本的な事実は同じです。女性たちがイエス様のお墓に着いたとき、そのお墓はもう空っぽでした。そして、天使たちが来て、イエス様の復活を女性たちに伝えました。そのあと、イエス様がマリアとほかの女性たちに現れて、その女性たちは弟子たちにイエス様の復活を伝えました。

現代の弁護士によれば、法廷なら、証人の証言がちょっと違っても、その四つの事実を認められます。

それでは、私はここに簡単にですが、復活の出来事の順番を説明します。

1.女性たちはイエス様のお墓に行ったけど、イエス様の死体がありませんでした。

2.マリアがお墓に入って、イエス様の死体がなかったと分かると、すぐに弟子たちに伝えるのに帰りました。

3.しかし、ほかの女性たちは残っていて、多分何が起こったか疑問に思ったでしょう。そして、二人の天使が来て、一人の天使はイエス様が復活したという良い知らせを伝えました。

4.そして、女性たちは弟子たちに伝えるために、帰りました。彼らは急いだので、止まらないで、誰とも話しませんでした。(マタイ28:5-8;マルコ16:1-8;ルカ24:1-10)

5.そのうちに、マリアは弟子たちにイエス様の死体がなくなったことを伝えました。(ヨハネ20:2)だから、ペテロと(多分)ヨハネはお墓を調べに行きました。マリアは彼らと共にお墓に戻りました。彼らが家を出た後、ほかの女性たちは家にきて、残った弟子たちに天使のメッセージを伝えました。(ルカ24:9-11)

6.ペテロとヨハネはお墓に着いて、マリアの話を確認しました。ヨハネはイエス様が復活したと信じたらしいけど、ペテロはまだ疑ったようです。たぶん、彼らは帰っている間にそのことを議論したでしょう。(ルカ24:12;ヨハネ20:3-9)

7.ペテロとヨハネがお墓に行ったときに、走ったので、もしかしたら、マリアは遅く着いたかもしれません。だから、マリアがやっと着いたとき、ペテロとヨハネがまだいたかどうか私は分かりません。そして、イエス様はマリアのところに来て、彼女を慰めました。そのあと、彼女はすぐに弟子たちのところに帰りました。(ヨハネ20:12-18)

8.彼女が帰っている間、イエス様はほかの女性たちのところに来ました。もしかしたら、彼女らは帰っている途中だったかもしれません。もしかしたら、彼女らはちょっと失望していたかもしれない。なぜなら、弟子たちは彼女らの話を信じなかったから。でも、イエス様が彼女らを励ましたので、彼女らはもう一度弟子たちのところに戻りました。そのころ、マリアも来たので、弟子たちはマリアとその女性たちの話を聞きました。(マタイ28:9-10)

その順番が正しいかどうかわからないけど、それが私の推測です。

とにかく、マリアのことをちょっと考えてみましょう。私がこの話を想像すると、イエス様のお墓の外で、マリアが悲しんで、絶望しているというイメージを見ます。私の意見が正しいなら、彼女は他の女性たちの天使の経験をまだ聞いていません。マリアが知っているのは、ただイエス様の死体がなくなったことです。

そして、マリアはそのお墓に入ったら、二人の天使を見ました。でも、ほかの女性たちの話をまだ聞いていないので、マリアはその天使たちを認識しませんでした。だから、その天使たちが「なぜあなたは泣いているのですか」と訊くと、マリアは単に、「誰かが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません」と答えました。

もしかしたら、天使たちがイエス様の復活を伝えようと思った瞬間、イエス様は来たかもれしれません。

最初は、マリアはイエス様のことも認識しなかったけど、イエス様はマリアの名前を言いました。

「マリア。」

それを聞いて、マリアの悲しみの涙は、たちまち大喜びに変わりました。

どれだけ私たちはマリアのようでしょうか。私たちは苦しんでいて、神様がとても遠いと思います。私たちは祈るけど、その祈りは天井に当たって、神様に届かないようです。私たちは神様を求めようとするけど、神様を見つけられません。神様が死んだようです。

でも、実は神様は私たちと共におられます。マリアのように私たちは神様を見ないかもしれないけど、神様はおられています。そして、一番ふさわしい時に、神様は自分自身を現してくださいます。

だから諦めないでください。私たち皆は悲しみの時を経験します。私たち皆は、神様が遠いと思ったことがあります。でも神様はインマヌエルです。つまり、「神様は私たちと共におられる」ということです。

そして、イエス様を復活させた同じ力で、神様は私たちの悲しみを喜びに変えてくださいます。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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