ヨハネ15:18-6:4ーー職業上の危険

私が初めて日本に来た時、私は教会で英会話の授業を教えました。

その時、牧師のお嬢さんはキリスト教の幼稚園で働いていました。でもある日、一人の子供が彼女の手をハサミで刺しました。幸いに、そのハサミの刃の先端が丸かったので、彼女は大丈夫でした。

でも、あとで、彼女は私に言いました。「私の幼稚園は英語の先生が必要です。そこで働きませんか。」

私はそのハサミの話を覚えていたので、断りました。そんな職業上の危険に全然興味がないから。:)

でもクリスチャンとして、私たちはある「職業上の危険」を避けることができません。もし、私たちがイエス様のことを伝えるなら、私たちに怒る人がきっといるでしょう。私たちを憎む人もいるでしょう。

イエス様はこう言いました。

世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します。彼らがわたしのことばを守ったのであれば、あなたがたのことばも守ります。しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえにあなたがたに対して行います。わたしを遣わされた方を知らないからです。(18-21)

イエス様は完全な愛でした。イエス様は完全な人生を送りました。それでも、人々は彼を憎みました。

私たちはイエス様の運命を避けると思うことができるでしょうか。

もちろん、すべての人々が私たちを憎むというわけではありません。私たちがイエス様の真理を教えると、私たちを愛する人もいます。でも、私たちがイエス様のメッセージを曲げることを拒まなければ、時々、相手の反応は敵対的になってしまいます。

残念なことだけど、そういうわけで、たくさんのクリスチャンはそのメッセージを曲げてしまいます。なぜでしょうか。彼らは憎まれたくないから。闘争が欲しくないから。

私の言葉を誤解しないでください。私たちはあえて闘争を求めてはいけません。私たちがイエス様のメッセージを正しく伝えるなら、ある人が私たちを憎むことは当たり前のことです。自然に闘争が起こります。でもそんなものは私たちの目的ではありません。

でも、イエス様のメッセージを伝える時、私たちは闘争に腰が引けてはいけません。むしろ、私たちは「神様の計画のすべてを、余すところなく」知らせなくてはなりません。(使徒の働き20:27)

イエス様は決して闘争に腰が引けませんでした。まして、私たちはなおさらです。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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