この個所では、イエス様はパリサイ人たちや律法学者たちを厳しく責め続けます。
わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。お前たちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。同じように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。(25-28)
それは非常に厳しい批判ですね。多くのユダヤ人たちはパリサイ人と律法学社を正しい人と見なしました。でも、イエス様は彼らの心の汚れを暴露しました。彼らの強欲や放縦や偽善を全部暴露しました。イエス様は彼らを白く塗った墓を呼びました。彼らの外側はきれいだったけど、内側に腐っている骨がありました。
でも、あなたはどうですか。イエス様があなたの心を見るなら、何と言うでしょうか。あなたを白く塗った墓を呼ぶでしょうか。イエス様は、あなたを外側がきれいで、内側は汚い杯と呼ぶでしょうか。
仮面をかぶるのはとても簡単なことです。実は、ギリシャ語では、「偽善者」という言葉のもとの意味は「役者」でした。でも、神様はあなたの外側だけを見ずに、あなたの心も見ます。その時、神様は何を見るでしょうか。
また、あなたが自分の心を見るとき、何を見るでしょうか。神様が見苦しいと見なすものを見るでしょうか。あなたには、周りの人々の罪を見るけど、自分の罪が見えていないでしょうか。
あなたが神様の憐れみをどれだけ受けているのがわかるので、周りの人々の罪を見るとき、あなたは彼らに同情を感じるでしょうか。もしくは、あなたは彼らを責めて、「私は一切そんなことをしないだろう」と思うでしょうか。
あなたの心の中に、何が入っているでしょうか。あなたの杯から何を清めなくてはならないでしょうか。