マタイ21:12-22;マルコ11:11-25;ルカ19:45-48--実のない木

多くの人々はこの話を読むと、イエス様の行為がわかりません。いちじくのなる季節ではなかったのに、どうしてイエス様は実の結んでいない木を呪ったでしょうか。

聖書学者たちは、いろんな意見を持っています。一つの意見は、過ぎ越しの祭りの時、普通のいちじくの木が人が食べられる芽を結んだことです。もしかしたら、イエス様はそんな芽を探していたかもしれません。でも、木にそんな芽がないなら、多分、いちじくのなる季節が来ても、その木は実を結ばないでしょう。

その意見が正しいかどうかわからないけど、筋が通った話だと思います。

とにかく、マルコの福音書によれば、イエス様はいちじくの木を呪って、エルサレムに入って神殿を清めて、エルサレムから帰っている途中で、弟子たちがその木が枯れたことに気づきました。だから、そのいちじくの木を通してイエス様は弟子たちに何かを教えたいと思ったようです。それは何でしょうか。

いちじくの木が実を結ばないゆえに裁かれたように、イスラエルが霊的な実を結ばないゆえに裁かれることです。神殿で、私たちはそのことが見ることができます。

イエス様のミニストリーの初めにも、イエス様は神殿を清めました。イエス様は牛や羊を売っている人々を追い出したし、両替人を追い出しました。なぜなら、その場所まで、外国人たちは入って礼拝できたから。彼らが神殿のより近くに来るのは禁止されていました。でも祭司たちはその所を市場としました。それに、たくさんの人々は、その業者や、両替人に騙されました。

その場所が神殿なのに、祭司たちはそうしました。

だから彼らの修行や、宗教的な熱心が堕落したものであることは明らかでした。

さらに、彼らはイエス様をメシアとして拒絶するだけではなく、イエス様を殺そうと思いました。だから、イスラエルは裁かれました。ローマ帝国の将軍タイタスは、その神殿を破壊しました。今なお、その神殿は再建されていません。どうしてでしょうか。神様がずっと愛と恵みをイスラエルに注いだのに、彼らは実を結ばなかったから。

でも、神様の行為は実を結ばないわけでもありません。ユダヤ人たちがイエス様を拒絶したので、福音はこの世界に浸透しました。そして、ある日、ユダヤ人もイエス様を信じるようになります。(ローマ書11章)

でも、私たちは自分自身にこう訊くべきです。私たちの人生は何の実を結んでいるでしょうか。私たちの体は神様の宮です。その宮は実を結んでいるでしょうか。

私たちは周りの人々に影響を与えているでしょうか。もしかしたら、この世界に執着して、私たちの宮は汚されているでしょうか。ユダヤ人たちの祭司たちのように、私たちはお金に執着しているでしょうか。他の世の物に執着しているでしょうか。もしそうなら、私たちが実を結ばないので、裁きの日に私たちの功績は燃えてしまいます。

私たちが実のない木にならないように。私たちは実を結びましょう。聖霊に満たされて、私たちは周りの人々に神様の愛で触れましょう。

 

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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