マタイ20:17-19;マルコ10:32-34;ルカ18:31-34--はっきりしていることがわからないこと

この話では、ルカの言葉は私の心を打ちます。

弟子たちには、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこのことばが隠されていて、話されたことが理解できなかった。(ルカ18:34)

もちろん、「これらのこと」や、「このことば」というのは、イエス様の死と復活のことでした。

ルカの言葉が私の心を打つ理由は、イエス様がはっきりと自分の死と復活について話したことです。弟子たちはその言葉が理解できないはずがありませんでした。それでも、彼らは理解できませんでした。なぜでしょうか。

もしかしたら、彼らはまだ霊的に成熟していなかったかもしれない。多くの若いクリスチャンが聖書を読むとき、理解できないことがいっぱいあるでしょう。でも、私たちの信仰と知識が成長すると、私たちは神様の言葉がますますわかるようになります。

もしかしたら、それは弟子たちの問題だったかもしれないけど、彼らにほかの問題もあったと思います。

つまり、彼らはイエス様の言葉を理解したくなかったということです。イエス様がすぐに死ぬことを信じたくなかったのです。だから、イエス様が自分の死と復活について教えると、彼らは自分の耳を閉じました。

もう一つの理由は、彼らが神様の御心を求めるよりも、自分の望みを求めたことです。次の話のヤコブとヨハネの願いを見ると、私たちはそんな考え方を見ることができます。

でも、どれぐらい私たちは同じような態度を取るでしょうか。聖書では神様の言葉がわかりやすいし、または、神様は私たちの心にはっきりと話すので、私たちがそのメッセージを見逃すはずはないのですが、私たちは見逃してしまいます。

例えば、私が振り返ると、私がハワイに住んでいた時、神様ははっきりと私が日本に行くように呼びました。何回も私は、「あなたは事務などの仕事には向いているとは思えない。ミニストリーをした方がいいよ」と言われました。ある人々は率直に、「あなたは宣教師として日本に行った方がいいよ」と言いました。

でも、私はハワイを出る気が全然ありませんでした。また、日本に行く気が全然ありませんでした。だから私はその言葉をずっと受け入れられませんでした。

私が「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」のような言葉を聞いても、私は「その言葉は私のためではない」と思いました。

でも、神様は私の心の中で働き続けて、数年後、私は日本に来ました。そして、私は神様に従う喜び、また神様の言葉に従う喜びを知りました。

もし、あなたの心を神様に開けば、あなたもその喜びを知ります。

でも、あなたの心の状態はどうでしょうか。神様があなたに話しているのに、その言葉に対して、あなたは自分の目をくらましているでしょうか。もしくは、あなたは自分の心をその言葉に向かって開いたでしょうか。

私たちは、いつも神様にこう言いましょう。「主よ、お話しください。しもべは聞いております。」

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: マタイの福音書, マルコの福音書, ルカの福音書, 新約聖書 タグ: , パーマリンク

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