マタイ19:16-26;マルコ10:17-27;ルカ18:18-27--救いの不可能性

私が大学生の時、私の宗教学の教授はキリスト教に関して話した時にこの話について話しました。彼のポイントは何だったでしょうか。キリスト教によれば、あなたが天国に行きたいと思うなら、あなたの持ち物をすべて売らなくてはいけないことです。

実は、私の教授はうっかり全く違う事を証明しました。それは、「文脈にちゃんと注意しなくてはなりません。そうしないと、聖書の言葉を誤解してしまうから」ということです。

とにかく、この個所のすべてを比べると、イエス様と話した人に関して、興味深いことを見つけられます。彼は金持ちだったし(すべての著者がそう書きました)、彼は若かったし(マタイ19:22)、彼は役人でした(ルカ18:18)。

そして、彼はイエス様にこう訊きました。

「良い先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」(マタイ19:16;マルコ10:17)

イエス様はこう答えました。

なぜ、私を「良い」と言うのですか。また、なぜ、良いことについて、私に訊ねるのですか。良い方は神おひとりのほか、誰もいません。(マタイ19:17;マルコ10:18)

この個所では、イエス様は自分自身に関する誤解の一つを吹っ飛ばします。それは、「イエス様は良い方だったけど、神ではありませんでした。」ということです。

イエス様はその人に、こう言いました。「あなたは私を神と呼んでもいいです。それを信じないなら、私をただの人間と呼ぶかもしれません。でも、私がただの人間なら、私を良い方と呼んではいけません。なぜなら、神様だけが良い方だから。」

そして、イエス様は彼にこう言いました。

「いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」(マタイ19:17)

その言葉だけを読むと、あなたは、イエス様が私たちの良い行動によって天国に入られると言っていると思うかもしれません。でも、この役人の反応を見てください。

私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。(20)

多くの人々には同じ問題があります。彼らは一生懸命神様の戒めを守ろうとします。彼らは頑張って、正しいことをしようとします。その役人のように、その戒めをちゃんと守ったと思う人もいます。でも、心の中では、彼らは何かが欠けているとわかります。どうして、彼らはそう感じるのでしょうか。

なぜなら、私たちは周りの人々をだますかもしれないし、私たち自身をだますかもしれないけど、神様の基準を完全に満たす人がいないから。

パウロはこう書きました。

全ての人は罪を犯し「ます」。(ローマ3:23)

もし、私たちは自分の心を探ると、そのことが分かるでしょう。

それでは、どうしてイエス様は永遠の命の方法について話した時、神様の戒めを指したでしょうか。多分、パウロはその答えを与えてくれます。

なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては、神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。(ローマ3:20)

ちょっと考えてみてください。鏡には私たちの顔を洗う力があるでしょうか。そんな力はありません。でも鏡は私たちの汚い顔を映します。

そのように、律法は私たちの罪を清める力がないです。でも、律法は私たちの罪を指摘できます。

でも、時々、その「鏡」の反映はちょっとピンぼけになるかもしれません。もちろん、神様の律法の言葉はわかりやすいです。それでも、私たちがその律法の意味がちゃんとわからないときもあるし、その律法がわかっても、私たちに自分の罪をまだ見ることができないかもしれません。

この役人には、その問題がありました。彼はちゃんと律法を守ったと思いました。だから、その人に自分の反映を見えるように、イエス様はその「鏡」を拭いてくださいました。イエス様はこう言いました。

完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、私に従って来なさい。(21)

どうして、イエス様はそう言ったでしょうか。なぜなら、その役人が言ったように、彼は何かがまだ欠けていたから。神様を愛するよりも、その人はお金に執着しました。だから実際は、彼は十戒の最初の戒めを破りました。お金が彼の神になりました。

その役人がイエス様の言葉を聞くと、自分の罪をはっきり見ることができました。残念なことだけど、彼はこう言いませんでした。「イエス様、私を助けてください。私は罪人です。私を憐れんでください。」

むしろ、彼は立ち去りました。彼は悲しく立ち去りました。

だからイエス様はこう言いました。

富を持つものが神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。(マルコ10:23)

弟子たちはそれを聞くと衝撃を受けました。なぜなら、彼らは金持ちは神様に恵まれた人だと思っていたから。でも、イエス様は同じことを繰り返しました。

子たちよ。神の国に入ることは、なんと難しいことでしょう。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。(マルコ10:24-25)

どうしてでしょうか。なぜなら、この世のものを持ちながら、神様からのものを持つのは無理だから。金持ちは、普通の人よりも、この世のものを持っています。だから、彼らが手離すべきのものが普通の人よりも多いです。

弟子たちはこう訊きました。

それでは、だれが救われることができるでしょう。(マルコ10:26)

イエス様の次の言葉はこの個所の要点です。

それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。(マルコ10:27)

神様から離れたら、救いは不可能です。私たちが不完全な人だから、自分の努力で自分自身を救うことができません。

イエス様はその教訓を役人に教えたいと思いました。

でも、イエス様の十字架の御業によって、また神様の御業によって、救いの可能性があります。私たちはしなくてはならないのは、イエス様を信じることだけです。

ヨハネはこう書きました。

神は、実に、そのひとり子を与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)

今日あなたは、神様の救いの賜物を受けないでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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