パリサイ人たちに神の国について話した後、イエス様は弟子たちに警告しました。つまり、とても大変な時が来ることです。その時、彼らはイエス様の帰りを願うので、イエス様が帰った噂を聞くと、その噂を信じるかもしれない。でも、イエス様は自分の帰りに関して、いくつかのことをはっきり教えました。
一つ目は、イエス様が帰って来ると、だれも見逃すことはできないことです。イエス様はこう言いました。
いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。(24)
二つ目は、イエス様が不意に現れることです。その日は普通の日のように始まります。人々は、いつものように、食べたり、飲んだり、結婚したり、買ったり、売ったり、植えたり、建てたりします。でも急にイエス様が来て、裁きが始まります。
三つ目は、義人が死に至る裁きを経験しないことです。イエス様はこう言いました。
ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。(29-30)
注目してください。ロトがソドムを出ていくと、裁きが来ました。そのように、イエス様が帰ると、義人が悪者から別れたあとで、裁きは来ます。
四つ目のポイントは、イエス様が来ると、もしあなたが神様との関係を持たないと、あなたは裁かれることです。あなたの友人や、妻や、夫や、親族が素晴らしいクリスチャンでも、その関係はあなたを救うことができません。だから、イエス様はこう言いました。
あなたがたに言うが、その夜、同じ寝台でふたりの人が寝ていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。女がふたりいっしょに臼をひいていると、ひとりは取られ、他のひとりは残されます。(34-35)
最後のポイントは、裁きが確かなものであるということです。イエス様はこの話をこの言葉でまとめました。
死体のある所、そこに、はげたかも集まります。(37)
死体があれば、はげたかが来るのは確かです。そのように、霊的な死んだ者がいれば、その裁きが来るのは確かです。
だから、あなたは自分自身にこう訊かなければならないです。あなたは準備しているでしょうか。あなたの心は準備しているでしょうか。あなたはこの世のものに執着しているでしょうか。もしくは、あなたは神様を愛しているでしょうか。
裁きの日に、あなたの心の隠されたものは現れます。
イエス様が来ると、イエス様を愛している人たちは、イエス様を喜んで迎えます。でも、この世のものに執着する人は持ち物をなくすことを恐れます。
だから、イエス様は弟子たちに警告しました。
ロトの妻を思い出しなさい。自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失う者はいのちを保ちます。(32-33)
神様がソドムを裁いた時、ロトの妻はソドムにある生活に執着して、振り返りました。だから、彼女も裁かれました。もし、あなたがこの世のものに執着するなら、イエス様が帰ると、あなたも裁かれます。
あなたの心はどこでしょうか。