ルカ17:11-19--感謝

この個所では、10人のツァラアトに冒された人々は一緒にイエス様の所に行きます。

もちろんツァラアトはつらい病気でしたけど、一つの良い点がありました。ツァラアトに冒された人々の間では、普段存在する壁は崩れました。

普通は、ユダヤ人とサマリヤ人は互いに憎み合いました。でも、その十人は病気のせいで、自分の民の間でのけ者になりました。だから、彼らがわっかったのは、彼ら皆がただの人間で、ユダヤ人とサマリヤ人には大差がないことです。

私たちもそのことを学ぶべきです。つまり、パウロはこう教えました。

すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず。。。(ローマ3:23)

私たちにどんな宗教的な背景があっても、どんな文化的な背景があっても、私たち皆は同じです。つまり、私たち皆は罪人です。そして、イエス様が私たちに触れてくれないと、私たちは死ぬとき永遠に神様から離れます。私たちの罪のせいで、私たちはのけ者になりましたから。

おまけに、その10人のように、私たちは自分自身を救うために何もできません。

その時代、ツァラアトの治療がなかったので、ツァラアトに冒された人は、何もできませんでした。

そのツァラアトに冒される人のように、私たちは一つのことしかできません。それは、神様様の憐れみを願うことです。

その十人はイエス様にこう叫びました。

イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。(13)

イエス様は彼らを憐れんで、癒してくださいました。でも、彼らは信仰が必要でした。イエス様はその場で彼らを癒してくださいませんでした。むしろ、イエス様は彼らにこう言いました。

行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。(14)

そして、彼らは行く途中で癒されました。そのように、イエス様だけが私たちの罪深い心を清められます。

とにかく、自分が癒されるとわかると、彼らは大喜びでした。でも、サマリヤ人だけが、イエス様の所に戻って、イエス様に感謝しました。

イエス様はそれを見ると、こう訊きました。

十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。(17-18)

イエス様は、どれぐらい私たちに関して、同じことを言うでしょうか。私たちの罪を清めるために、イエス様は十字架で死にました。イエス様の恵みによって、私たちは永遠の死から救われました。でも、どれぐらい私たちはその救いを当たり前のものだと思っているでしょうか。

私は感謝の言葉についてだけ話しているわけではありません。どれぐらい私たちの行動は、イエス様に対する私たちの感謝を表すでしょうか。

イエス様は愛と恵みを私たちの人生に注いだけど、私たちはその愛と恵みを楽しんでいるだけでしょうか。もしくは、その愛と恵みは私たちを通して、周りの人々に触れるでしょうか。私たちの人生は神様に栄光を与えているでしょうか。

あなたはどうですか。あなたの人生はイエス様に対する感謝を反映するでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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