この個所では、イエス様は赦しについて話していますが、とても厳しい言葉を言っています。彼はこう言いました。
もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。
相手があなたを傷つけるとき、あなたはずっと怒りを抱いていはいけません。イエス様は私たちに「その人とじかに話し合いなさい」と命令しました。
もちろん、あなたがちょっと落ち着くまで待った方がいいと思いますけど、あなたの怒りがずっと溜まったらダメなのです。そしてイエス様が言ったのは、「相手が悔い改めれば、赦しなさい」ということです。
でも、イエス様は続けます。
かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、「悔い改めます」と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。(4)
これはただの勧めではありません。イエス様は「相手が謝るなら、あなたは許してあげるのをちょっと考えた方がいいかも」と言っていません。
イエス様は私たちに命令します。「赦しなさい。」
弟子たちの反応は何だったでしょうか。
私たちの信仰を増してください。(5)
私たちの多くが、そのように考えると思います。
「主よ。私の傷はとても深いのです。私が赦せるかどうかわかりません。私たちが相手を赦せるように、私の信仰を増してください。」
イエス様は弟子たちに(また私たちに)こう答えました。
もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、「根こそぎ海の中に植われ」と言えば、言いつけどおりになるのです。(6)
つまり、どれだけあなたの傷が深くても、その根は引っこ抜けられるということです。それに、あなたはそんなにたくさんの信仰がいりません。
あなたが信仰をどれぐらい持っているかは、あまり関係ありません。
あなたがだれを信じるかが、大切なのです。イエス様は素晴らしい癒し主です。あなたがどんな傷を持っていても、イエス様はあなたを癒すことができます。
だから、あなたが自分を変える強い意志があるかどうかは、大切ではありません。
実は、神様の戒めは私たちに自分自身を変える力を与えることができません。だから、私たちは自分の心を変える力がないのです。自分の力で、私たちは完全な人になることができません。
でもイエス様は私たちを変えることができます。
だから、自分の力に頼り、「頑張ろう。相手を許そう。」と思わないでください。
むしろ、イエス様に向かって、イエス様からの癒しと助を頼んでください。
そして、イエス様を信じると、あなたは奇跡を見ます。