ルカ16:15-18--自分を正しいとすること

パリサイ人の一つの大きな問題は、独善的な態度です。

彼らは細かいルールに従ったけど、彼らには自分の目立った罪が見ることができませんでした。そして、イエス様がその罪を指摘したとき、彼らはその罪を否定ました。「私たちは正しい人だ」と言い張りました。

だから、イエス様は彼らにこう言いました。

あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。(15)

この話では、イエス様は彼らのお金に対する執着を裁きました。でも、パリサイ人たちはこう思いました。「でも、私のお金は神様の祝福のしるしだろう。イエス様は何を言っているんだろう?」

でも、彼らの心の中では、お金は彼らの偶像になりました。彼らは神様よりも、お金を愛していました。もしかしたら、彼らはお金よりも一つのものだけを愛していたかもしれません。それは、周りの人々の誉め言葉です。だから、彼らは施しをしたとき、たくさんの人に見られるのを確認しました。

たくさんの人々はお金や、周りの人々からの称賛を求めるけど、神様の目にはそれらは憎まれるものです。もちろん、お金と誉め言葉自体は悪いものではありません。でも、それらが私たちの人生の目的になると、また、それらが私たちの神になると、私たちの神様との関係の邪魔ものになります。

パリサイ人たちは人の前で自分を正しいことをする他にも、色んなことをしました。彼らは余計なルールを強制したけれど、そこに抜け穴を見つけると、自分自身を褒めました。

例えば、イエス様は彼らの姦淫の考え方を非難しました。あるパリサイ人はその律法を避けるため、自分の妻たちと離婚して、すぐに別の人と再婚しました。でもイエス様は彼らにこう言いました。

だれでも妻を離別してほかの女と結婚する者は、姦淫を犯す者であり、また、夫から離別された女と結婚する者も、姦淫を犯す者です。(18)

でも、最悪なのは、彼らは罪人に触れずに、罪人を裁いたことです。彼らは律法を利用して人々を裁きました。彼らは全然その罪人の救いを望みませんでした。むしろ、彼らは「人々から天の御国をさえぎっていました。」(マタイ23:13)

それでも、ある人々はパリサイ人を押し切って、天国に入っていました。つまり、パリサイ人たちが拒絶した人々はイエス様に触れられて、パリサイ人たちとその余計なルールを押し切って、神の国に入っていたことです。(16:16)

あなたはどうですか。あなたの心に何が入っているでしょうか。あなたのうわべはきれいなのに、あなたの心は汚いでしょうか。

あなたは独善的な態度を持っているので、自分の罪がわからないでしょうか。

私たちがパリサイ人のようにならないように。むしろ、イエス様が私たちの罪を表して、神様との関係を塞ぐ私たちのプライドの壁を壊すように祈りましょう。

 

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: ルカの福音書, 福音書, 新約聖書 タグ: , パーマリンク

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