ルカ10:25-37--知識をもって、行動すること

私はこの個所を読むとき、もう一つの考えが思い浮かびました。

この話では、神様の言葉をよく知っている人が三人いました。もちろん、律法専門家は実在した人で、あと二人はフィクションの登場人物でした(祭司とレビ人)。でも、そのフィクションの登場人物には律法の専門家と同じ問題がありました。

その三人は神様の律法をよく知っていて、イエス様が律法に関する質問を訊くと、彼らはすぐに答えられたでしょう。でも、彼らの心の中で、その律法の意味が本当には分かっていませんでした。

だから、たとえ話では、祭司とレビ人はその怪我した人を助けませんでした。彼らは、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、神を愛することと、隣人を愛することが本当にわかりませんでした。むしろ、彼らは自分の愛の欠如のために言い訳をしました。

律法専門家はそうしました。律法を読んで、自分の弱さを見た時、彼は、「イエス様、どうしましょうか。私は神様の基準を満たすことができません」と言いませんでした。むしろ、彼は自分の正しさを示そうとしました。イエス様は彼の心の状態を指そうとしたけど、律法専門家は律法の意味を議論したかったのです。

「では、私の隣人とは、だれのことですか。」

だから、イエス様はたとえ話を伝えて、律法専門家に自分の質問に答えさせました。そして、イエス様は、「あなたも行って同じようにしなさい。」と言いました。

そのあと、律法専門家はどうしたのでしょうか。私たちはわかりません。

多分ルカは、私たちが自分の心を探るように望みました。私たちはイエス様の言葉を聞いて、どうするでしょうか。

聖書の知識を持つだけでは足りないです。聖書の言葉を引用するだけでは足りないです。あなたはその言葉に従うべきです。その言葉はあなたの心に入って、あなたを変えなくてはいけません。

もう一つのことを考えましょう。

そのたとえ話では、サマリヤ人は祭司とレビ人の行動を見たでしょうか。彼らを見ていたら、どう思ったでしょうか。

周りの人々が私たちを見ると、何を見るでしょうか。私たちを見ると、彼らはこう言うでしょうか。「どうしてその人は、愛にそんなに満ちているでしょうか。どうして、その人はそんなに憐れみ深いでしょうか。私はそのようになりたい。」

もしかしたら、彼らはこう言うでしょうか。「それはクリスチャンでしょうか。私の方がいい人だけど。」

私たちが知識だけを持たないように。むしろ、神様の言葉が私の心に入らせて、その言葉に従いましょう。

日曜日に教会に行って、宗教的なことをするだけではなく、憐れみ深く、恵み深い人生を送りましょう。そうするなら、私たちを見るとき、周りの人々はイエス様をも見、知りたいようになります。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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