ルカ10:25-37--行ないと真実をもって愛すること

私がこの話を読むとき、ヨハネの言葉が思い浮かびます。

子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。(第一ヨハネ3:18)

このたとえ話では、私たちがその意味を見ることができると思います。このサマリヤ人はどのように行いと真実を持って愛を示したでしょうか。

一つ目は、彼が自分の文化の偏見を捨てたことです。多分、ユダヤ人たちはその話を聞いたとき、とてもびっくりしました。なぜなら、ユダヤ人の泥棒は旅行者を襲ったし、ユダヤ人の祭司とレビ人(神殿で働く人)はその人を助けなかったから。でも、そのあと、サマリヤ人が来ました。サマリヤ人たちが混血の人だったし(ユダヤ人と異邦人)、本当の神様の礼拝と偽物神々の礼拝を混ぜたので、ユダヤ人たちはサマリヤ人たちを軽蔑しました。だから、サマリヤ人たちもユダヤ人のことを憎みました。

でも、この話では、サマリヤ人は怪我したユダヤ人を見た時、その人をかわいそうに思いました。

しかも、そのサマリヤ人はかわいそうに思うだけではなく、そのユダヤ人を助けました。もちろん、怪我した人をかわいそうに思うことは良いことだけど、助けないと意味がないです。

そのサマリヤ人は何をしたでしょうか。

彼はユダヤ人に近寄りました。(34a)

彼はその人の痛みを和らげました。(34b)

彼はせっかくその人を宿屋に連れて行き、介抱しました。(34c)

さらに、自分のお金を使って、その人を世話にしました。(35)

そして、イエス様が律法専門家に言ったように、イエス様は私たちにもこう言います。

「あなたも行って同じようにしなさい。周りの人々を見て、彼らが必要があれば、その人を助けなさい。」

でも、言い訳するのはとても簡単です。

「私は忙しすぎる。」

「助けたいけど、何もできない。」

「より大切なことをしなくてはならない。」

多分、祭司とレビ人はそのように思いました。もしかしたら、彼らは、その人がもう死んだと思ったので、その死体に触ると、彼らが儀式的に不潔になると思ったかもしれません。(神様の律法によれば、儀式的に不潔な人は神殿に入ることができませんでした。)

だから、彼らは自分の義務をその人に対する愛よりも優先しました。

もしかしたら、彼らはこう思ったかもしれません。「私はお医者じゃない。私の責任じゃない。何もできないよ。」

どう思っても、彼らは神様の言葉を忘れました。

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。(ホセア書6:6)

あなたはどうですか。周りの人々のニーズを見るとき、その人を無視するでしょうか。もしかしたら、あなたは祈るけど、助けないでしょうか。ただ言い訳するでしょうか。

憐れみ深い心を持って、生きましょう。なぜなら、神様はそんな人を望みます。言葉や口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛しましょう。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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