マルコ9:38-41;ルカ9:49-50--ミニストリーに関するプライド

イエス様が弟子たちにどうやって神の国で偉くなるか教えた時、たぶんその弟子たちはちょっと違和感を感じたでしょう。なぜなら、彼らは、誰が一番偉いかについて喧嘩したし、そのグループの外の人々を悪く扱ったから。だからヨハネは多分ちょっと緊張して、こう訊きました。

先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。(マルコ9:38)

イエス様はこう答えました。

やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。あなたがたがキリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません。これは確かなことです。(39-41)

教会の一つの問題は、人々は自分のミニストリーを守ることです。つまり、彼らはこう思います。「これは私の役割です。私のミニストリーです。ほかの人は参加してだめです。」

弟子たちはそんな態度を取りました。誰かが悪霊を追い出したけど、その人は弟子たちの仲間ではありませんでした。だから、弟子たちは彼に「やめなさい」と命令しました。

でも、イエス様は彼らにはっきり言います。「これは競争ではありません。その人は私を愛して、仕えたいと思ったのです。だから、やらせなさい。私は彼にその力を与えたから。」

私たちもそんな態度を取るべきです。相手が私たちよりも上手にできても、私たちは喜んで彼らをそのミニストリーに参加させるべきです。どうしてでしょうか。ミニストリーをするとき、私たちは自分の栄光を求めていないから。実は、私たちは自分の栄光を求めてはだめです。

むしろ、私たちは神様に栄光を与えようと思うべきです。そして、誰かが、神様からの賜物を使う時、私たちは喜ぶべきです。

あいにく、教会の中でも、そんな競争があります。人々はどの教会の方が大きいか考えます。どの教会のミニストリーの方がいいか考えます。

また、相手に違う方法があれば、相手を批判し始めます。でも、それはイエス様の希望ではありません。それはサタンの希望です。もし教会の人々が互いに争うなら、サタンと争う時間が無くなるから。

だから、教会として、また、教会のメンバーとして喧嘩することをやめましょう。むしろ、一緒に働きましょう。なぜなら、私たちは同じチームに入っているし、同じ目標を持っているから。

私たちが別れたら、神様の名前を汚します。でも一致して協力すれば、私たちは神様のみ名に栄光を与えます。そんな人々になりましょう。

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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