イエス様がどのようにこの話をまとめるか、本当に興味深いです。イエス様は弟子たちに、「あなたを受け入れるものは、私を受け入れる」と言います。
そのように、福音のために私たちを拒絶する人は、イエス様をも拒絶しました。
つまり、相手があなたを拒絶しても、自分を責めないでください。彼らの拒絶は痛いかもしれません。とくに、あなたがその人を愛しているなら、その拒絶は痛いかもしれません。でも、あなたが悪いというわけではありません。むしろ、彼らはあなたが代表する方を拒絶しています。
でも、イエス様はこの原則を違う方法で用います。
つまり、預言者を受け入れる人は、預言者の受ける報いを受けます。また義人を受け入れる人は、義人の受ける報いを受けます。
たぶん、イエス様は弟子たちのニーズに備える人々について話しています。その人々は弟子たちの食料などに備えるなら、弟子たちの報いを受けることになります。
どうしてイエス様は、弟子たちにそう言ったでしょうか。多分、イエス様は弟子たちに、こう教えたかったのだと思います。
「もちろんあなたの仕事は大切です。しかし、ほかの人々を見下すな。なぜなら、その人々も神様の仕事をしているから。そして、あなたのニーズに備える人々は、あなたのように名誉を受けるべきです。」
弟子たちは「霊的な仕事」をしているかもしれないけど、ほかの人々は弟子たちの奉仕を支える仕事をしています。彼らがいないと、弟子たちは自分の仕事ができませんでした。
私たちの多くは、牧師や、教師や、ワーシップリーダーたちを偉い人と見なします。でも、私たちは背景で働いている人々に気づきません。例えば、彼らは、礼拝のために椅子を並べるし、マイクとスピーカーをセットします。彼らも栄誉をうけるべきです。そして、裁きの日、神様は彼らに牧師や、ワーシップリーダーのような報いを与えてくださいます。
要するに、神様が彼らを褒めるなら、私たちも彼らを褒めるべきです。
さらに、イエス様はこう言いました。
わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。(42)
それを言ったとき、イエス様は小さい子供を抱いていたでしょうか。もしかしたら、イエス様は弟子たちを小さいものと呼んだのでしょうか
もしイエス様は小さい子について話すなら、覚えていてください。神様にとっては、キリストに属する小さい子供を世話することは本当に大切な仕事です。
もしイエス様が弟子たちや預言者について話すなら、覚えていてください。彼らも小さいものです。だから、あなたがリーダーなら、偉そうな態度を取ってはいけません。
あなたは「偉い人」でしょうか。覚えていてください。神様にとって、ほかの人々の神の国の仕事も大切です。神様は人の前でする仕事も、裏方でする仕事も同じように褒めます。だから、そんな人をも褒めましょう。
あなたは「取るに足りない」立場にでしょうか。覚えていてください。あなたが忠実に仕えると、神様は「偉い人」のように報いを与えてくださいます。
なぜなら、神様の目には私たち皆は貴い人々だし、忠実な者に報いを与えてくださいますから。