マタイ7:13-14--心の広いのは悪い時

日本では、よくわからないけど、西洋で、クリスチャンに対してよく言われた文句は、「あなたたちの心は本当に狭い」ということです。

彼らは、いつもこう言います。「あなたの心がもっと広ければいいのに。」

特に、彼らはこう尋ねます。「どうしてイエスだけが天国への道だと言うのですか。」

でも、場合によっては心が広ければいいというものではありません。例えば、数学です。もし、児童が試験で「2+2=10」と書いたので、先生が「X(バツ)」と書いたら、児童はこう言えません。「先生。心がもっと広くなった方がいいと思います。10でも4でも、別に違いがないでしょう?」

治療に関しても、そんな考え方はだめです。ちょっと想像してください。

あなたの腎臓の一つが悪いので、摘出しなくてはなりません。あなたは麻酔をされて、そのあと起きたら、腎臓が両方まだ残っていて扁桃腺が摘出されていました。あなたは混乱して、こう訊きます。「先生。どうして、私の扁桃腺を摘出したのですか。」

「いや、心が広くなった方がいいよ。腎臓を摘出か、扁桃腺を摘出か、大体同じでしょう?」

それはバカな話ですよね?

でも、永遠の命は、もっと大事な話です。もし数学や治療の場合、広い心では何の意味もないなら、なおのこと、永遠の命の場合、広い心でいてはだめでしょう。

だから、イエス様はこう言いました。

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイ7:13-14)

イエス様の言葉によれば、私たちは、自分の条件を作って、神様に近づくことができません。あなたが神様に近づきたいなら、神様の条件を満たすべきです。

ある人はこう言いました。「あなたは自分の道で地獄に行けるけど、天国に行きたいなら、神様の道を行かなくてはなりません。」

神様の道は何でしょうか。イエス様はこう言いました。

わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14:6)

ちょっと考えてください。もしほかの道があったら、どうしてイエス様は、十字架で苦しんで、死ななくてはなりませんでしたか。もし、ほかの方法があったら、十字架は必要なかったのです。

もしほかの方法を求めると、あなたは、イエス様のいけにえに唾を吐いています。あなたは、「イエス様、あなたはバカだね。救いのために、もっと良い方法があったから。」と言っています。

誤解しないでください。心が広いがいい時もあります。でも、永遠の命に関しては、そのように考えてはいけません。

あなたはどうですか。あなたは自分なりの条件を作って、永遠の命を求めているでしょうか。もしかして、神様の条件を満たしていますか。つまり、イエス様をあなたの救い主と主として、受け入れるでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: マタイの福音書, ルカの福音書, 新約聖書 タグ: , パーマリンク

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