ルカ3:18-19ーー私はあなたの御心に従っていると思ったのに

時々、私たちの悪い決断によって、私たちは苦しみます。たとえば、私が勤めた会社が倒産しそうなのに、私はそこで働き続けました。私は「なんとかなる」と思ったけど、結局その会社は倒産して、私は失業しました。それは本当に馬鹿な決断でした。

でも、時々私たちはずっと神様の御心に従うのに、試練に直面します。そして、私たちは神様に訊きます。「どうして?あなたの御心に従っていると思ったのに。」

バプテスマのヨハネはそう思ったかもしれません。

18節によれば、ヨハネは「多くのことを教えて、民衆に福音を知らせた。」

そして、彼は自分の弟子たちをイエス様に向かわせて、「イエス様はあなたが従うべきの人です。」と言いました。

それに、予言者の役割をちゃんと果たして、人々の罪を指摘しました。実は、彼は予言者の役割を果たしたので、苦しみました。つまり、ヘロデ・アンティパス王は、その兄弟の妻を自分の妻として取りました。ヨハネはヘロデを責めたので、ヘロデは、ヨハネを牢に閉じ込めました。

いつかブログで、この話の続きを書きますが、今、この質問を訊いてみたいと思います。「どうして神様はそのことを許したでしょうか?」

ヨハネは牢に閉じ込められるような罪を犯したのでしょうか。そんなことはありません。

神様はヨハネを救うことができたでしょうか。はい、できました。

では、どうして、神様はヨハネを救わなかったのでしょうか。私にはわかりません。

最終的に、私たちは神様を信頼しなくてはなりません。

私たちが神様に従っても、神様は気楽な人生を約束しません。私たちの人生がうまくいくことを約束しません。

イエス様は完璧な人だったのに、打たれて、十字架でかけられました。イエス様は気楽な人生を送りませんでした。もし、イエス様がそんな人生を送ったなら、私たちは気楽な人生を期待できるでしょうか。

ペテロはこう書いた。

罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(第一ペテロ2:20-21)

私たちは何のために召されたでしょうか。イエス様のために苦しみを受けることです。

イエス様の足跡はどこに導きますか。苦しみに導きます。

誤解しないでください。私たちが苦しみを探すべきというわけではありません。でも、試練が来ても、驚かないでください。

もし、試練が来れば、ヘブル人への手紙の著者の言葉を覚えていてください。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。(ヘブル12:3)

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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