箴言13章24節ーー私たちの子供たちを懲らしめること

英語では、「Spare the rod, spoil the child」(むちを控えると、子供はだめになる)と言うことわざがあります。

これは聖書からきているわけではないですが、聖書には、似ている言葉が何回も出てきます。

箴言13:24で、ソロモンはこう書いた。

むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。

時々、親はこう言います。「私は子供を愛しているので、彼らが悪いことをしても、私は懲らしめることができない。彼らの涙を見たくないから。」

でも、ソロモンが言ったのは、「あなたは自分の子供を懲らしめないなら、本当にその子供を愛していないのです。あなたはその子を憎んでいるのと同じです。」ということです。

どうしてソロモンはそう思ったでしょか。他の箴言で、私たちはソロモンの答えを読むことができます。

望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。しかし、殺す気を起こしてはならない。(19:18)

つまり、子供を懲らしめないことは、その子どもを殺すようなものです。なぜなら、子供を懲らしめないなら、その子供は自分の愚かな行動によって、殺されるかもしれないから。

箴言では、この言葉もあります。

愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。(22:15)

子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。(23:13-14)

むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(29:15)

要するに、子供たちはすべてのことを知りません。だから、彼らの愚かな行動によって、彼らは周りの人々だけではなく、自分自身をも傷つけてしまいます。最悪の事態では、彼らの行動は死に導くかもしれない。

例えば、あなたが子供に「道に飛び出すな」と決して言わないと、どうなるでしょうか。

その反面、あなたが「止れ」と言う時、子供がさっそく止ることを訓練すると、その子供の命を救うでしょう。

あなたの子供を懲らしめるのは、親に対しても、子供に対しても苦しいことです。私の娘を懲らしめるのは嫌いです。でも彼女の利益のために私は彼女を懲らしめます。

いろんな懲らしめ方があります。私の家では、タイムアウトのシステムを使います。娘は悪いことをしたら、自分の部屋に行かなくてはならない。そのあと、私は彼女と話します。彼女が2-3歳くらいの時、私たちはそのように何回も懲らしめた。幸い、最近はそんな必要はあまりありません。

私はもう娘を懲らしめたくないです。でも多分将来、またしなくてはならないでしょう。

あなたはどうですか。あなたの子供を愛して、懲らしめるでしょうか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: 箴言, 諸書, 旧約聖書 タグ: パーマリンク

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