詩篇131篇ーー謙遜

これもかなり短い詩篇だけど、この詩篇を通して、ダビデは私たちが神様に近づくときに、どのような心が必要か教えています。

私たちはどんな心が必要でしょうか。へりくだる心が必要です。ダビデはこう書いた。

主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。(1)

心の中でプライドを持ったら、神様の前に行くのは無理です。私はヨブについて考えます。

彼が苦しんだ時に、彼は神様の正義を疑い始めました。だから、神様の前に行きたがって、神様の正義に関して議論したがった。

多くの人々はそうします。彼らが神様と同じ知力を持っていると思うので、彼らは神様と義論したら、勝てると思っています。

多くの無神論者はこう思います。「たとえ神様が存在しても、どうして私が神様を信じなかったかを説明できます。」

でも、彼らが神様の前に来て話す時、ヨブのように彼らの論法が虚しいと実感することでしょう。

しかし、他の人々はヨブの友達のようです。彼らは誇って、他の人々を見下し、すぐに裁きます。でも、神様はそんな人にも反対します。なぜなら、彼らの判断は間違ったから。

でも、ダビデは彼らと違いました。神様に対しても、他の人々に対しても謙遜な態度を持っていました。だから、彼が理解できないことが起きたり、また、どうして神様がいろんな試練を許したか理解できない時、彼は謙遜に言いました。

及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。(1b)

ヨブは、悔い改めた時、同じようなことを言いました。

まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。(ヨブ記42:3)

私たちも理解できないことを経験します。どうして、神様が災いを許すか分からないので、私たちは神様と議論したいと考えます。

でも、ダビデのように、その疑いを置いておいて、神様に信頼しましょう。神様が私たちと共におられ、私たちを愛することを信じ続けましょう。

「乳離れした子が母親の前にいるように」、また自分のニーズに供えられた子のように、神様の前に静まり、信頼しましょう。

ダビデのように私たちはこう言いましょう。

今よりとこしえまで主を待て。(3)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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