詩篇118篇ーー救いの歌

イエス様がこの世に戻る日にクリスチャンたちが詩篇を歌うなら、多分この詩篇を歌うと思います。なぜならこれは救いの讃美歌だから。多分、この詩篇の詩人よりも、この詩篇は私たちに意味があると思います。

新エルサレムに入る時、多分私たちはこう歌います。

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(1)

どうして私たちはそう歌うでしょうか。なぜなら、私たちが苦しんだ時、また私たちが自分の罪によって死にかけていて、私たちが神様に叫んだ時、神様は私たちを自由にしましたから。

それに、毎日、神様は私たちを見守ってくださいます。人々は私たちの体を滅ぼすかもしれないけど、私たちの魂を滅ぼすことができません。だから詩人はこう歌った。

主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。(6)

そして詩人はどのように神様の力によって敵を断ち切ったか歌います。そのように、神様は私たちにサタンに対する勝利を与えてくださいます。だから、私たちもこう歌えます。

おまえは、私をひどく押して倒そうとしたが、主が私を助けられた。

主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。。。

主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。(13-17)

時々、詩人のように、私たちは神様の懲らしめの手を見ます。でも、神様は私たちを滅ぼすために懲らしめず、私たちに命を与えるために懲らしめてくださいます。

だから、私たちはエルサレムの門に着くとき、私たちは門番にこう言えます。

義の門よ。私のために開け。私はそこから入り、主に感謝しよう。(19)

どうして、私たちにはその門に入られる確信があるでしょうか。私たちは救いの基礎を知っているから。

家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。

これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。(22-23)

イエス様は私たちの救いの礎の石になりました。ユダヤ人たちはイエス様を拒絶したけど、十字架で流されたイエス様の血によって、私たちは救いを見つけられます。

だから、毎日私たちの希望が新しくなって、私たちは歌えます。

これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。(24)

そして、イエス様がエルサレムに来たとき、人々が叫んだように、いつか私たちも歌います。「ホサナ。ああ、主よ。どうぞ救ってください。」(25)

でも、私たちがそう歌う時には、もう救いが来るのを待っているのではなく、むしろ、私たちの救いを振り返ります。そして、もう一度、私たちは歌います。

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(29)

アーメン。イエス様、すぐに来てください。

 

 

 

広告

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: 詩篇, 諸書, 旧約聖書 タグ: , , パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中