ダビデは神様の契約の箱をエルサレムに持ってきたとき、感謝の詩篇を書きました。もしかしたら、その詩篇は詩篇96篇、105篇、と106篇からのメドレーかもしれない。もしくは、元々ダビデは一つの詩篇を書いたけど、後でその詩篇を三つの詩篇に分けて、歌詞をちょっと加えたかもしれない。
とにかく、私はそれぞれの詩篇について書こうと思いました。歴代誌に出た詩篇はその三つの詩篇とちょっと違うけど、96篇、105篇と106篇だけについて解説します。今日96篇について話します。
この詩篇では、私たちが学ぶのは、神様には私たちのための目的があるということです。その目的は何でしょうか。
ダビデはこう歌いました。
新しい歌を主に歌え。全地よ。主に歌え。
主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。
まことに主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。すべての神々にまさって恐れられる方だ。
まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。
尊厳と威光は御前にあり、力と光栄は主の聖所にある。(1-6)
私たちの目的は何でしょう。それは、国々に神様の名前を宣言することです。私たちは持っている喜びを周りの人々にシェアするべきです。
ダビデは、「主に歌え」と言います。どうしてでしょうか。神様をほめたたえるためでしょうか。もちろんそうですが、それだけではないのです。
ダビデは歌い続けます。
日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。
主の栄光を国々の中で語り告げよ。その奇しいわざを、すべての国々の民の中で。(2-3)
どうしてそうしなくてはならないのでしょうか。なぜなら、多くの人々はそのことを知らないから。
まことに、国々の民の神々はみな、むなしい。しかし主は天をお造りになった。(5)
多くの人々は神様を知っていると思っていますが、実は、その神々はただの虚しい偶像です。
だから、私たちは神様の偉大さを宣言するべきだし、裁きの日が来ることも宣言するべきです。だから、ダビデはこう書いた。
国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ。
御名の栄光を主にささげよ。(7-8)
ある日、神様は自分の王座に座り、この世の民は神様を王として認めます。その日について、ダビデはこう言ました。
確かに、主は来られる。確かに、地をさばくために来られる。主は、義をもって世界をさばき、その真実をもって国々の民をさばかれる。(13)
多くの人々は不正義について文句を言います。でも、彼らが知らないのは、正義が来ると、彼らも裁かれるということです。もし彼らの罪がイエス様の血によってまだ赦されていないなら、彼らは自分の罪のために裁かれます。
だから、神様はその人々に警告するように私たちを招きます。
あなたはどうですか。あなたは周りの人々に神様について話すでしょうか。彼らは神様の偉大さを知っているでしょうか。また彼らは神様の愛について知っているでしょうか。また、将来の裁きについて知っているでしょうか。
彼らにそのことを宣言するのが私たちの目的です。だから、ただあなたのもらった救いに安心しきってはいけないのです。むしろ、周りの人々に神様の名前を宣言しましょう。