いつこの詩篇が書かれたか分からないけど、ダビデに対するアブサロムの反抗の時に書かれたものかもしれません。
その時、ダビデの議官アヒトフェルはダビデに背を向けて、アブサロムを助け始めました。どうしてアヒトフェルがダビデを裏切ったかは、こちらのブログで書きました。
ダビデは追放されたので、絶望して、叫びました。
神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。
私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。
それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。(1-4)
そして、ダビデは嘆きます。
まことに、私をそしる者が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。
そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家に群れといっしょに歩いて行ったのに。(12-14)
また、
彼は、自分の親しい者にまで手を伸ばし、自分の誓約を破った。
彼の口は、バタよりもなめらかだが、その心には、戦いがある。彼のことばは、油よりも柔らかいが、それは抜き身の剣である。(20-21)
友達に裏切られるのは苦しいことです。あなたが彼らを愛していたのに、彼らはあなたに背を向けて、わざとあなたを傷つけようとするから。彼らはあなたの友達のふりをするけど、あなたが見ていない時、ナイフをあなたの背中に刺します。
友達に裏切られるのも苦しいけど、夫か妻に裏切られるなら、本当に苦しいです。そして、その裏切りによって、あなたは人を信頼することは難しくなるかもしれない。もしくは、神様を信頼することは難しくなるかもしれない。
でも、イエス様も裏切りの苦しみを知っていることを覚えていてください。ユダがイエス様を裏切ったので、イエス様はあなたの感情がよく分かります。
それに、イエス様はあなたを決して裏切らない。むしろ、イエス様はいつもあなたに対して誠実です。
ダビデはそのことを知っていたので、こう歌いました。
私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。
夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いてくださる。
主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに贖い出してくださる。私と争う者が多いから。(16-18)
言い替えれば、他の人々は私たちに背を向けるかもしれないけど、神様は決してしないということです。だから、ダビデは私たちに言います。
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。(22)
そして、ダビデは、信仰によって叫びます。
けれども、私は、あなたに拠り頼みます。(23)
あなたは裏切られましたか。あなたが人を信頼することは難しくなりましたか。あなたの苦しみ駆られることがないように。むしろ、あなたに忠実である神に信頼してください。あなたの重荷と痛みを主に委ねてください。そうすれば、あなたは癒されます。