多分、これは一番有名な詩篇です。なぜなら、この詩篇は、私たちの神様との親しい関係を表すから。
他の詩篇で、私たちは神様を王や、裁判官や、正義の味方や、勇士として見ます。でも、この詩篇では、私たちは神様を羊飼いとして見ます。
実は、私たちが羊と呼ばれることは、賛辞じゃないです。世界中で、多分羊は一番馬鹿な動物です。羊飼いがいないと、羊は全く迷っているから。
私たちもその通りです。私たちの多くは、自分自身が他の人よりも賢いと思いたいです。また、私たちは神様が要らないと思います。でも、神様がいらっしゃらないと、私たちの人生はめちゃくちゃになります。神様がいらっしゃらない、と私たちは全く迷ってしまいます。
ダビデは、「主は私の羊飼い」と書いていました。「私たちの羊飼い」と書いていなかった。つまり、多くの羊がいるかもしれないけど、神様はそれぞれの羊を愛しています。迷っている羊のたとえ話のように、一匹の羊が羊飼いから離れると、羊飼いは、その羊を探して救います。(ルカ15:3-7)
神様が私たちを愛しているので、ダビデは私たちが乏しいことがないと言います。イエス様もそう教えました。天の父は鳥に餌をやって、花を美しく着せるように、天の父は私たちを世話します。(マタイ6:25-30)
それに、神様は私たちに平和と安らぎを与えてくださいます。羊が不安があって、恐れたら、全然寝ません。でも良い羊飼いが羊を慰めるので、羊は平安を持って、すぐに寝られます。
そして、私たちが重荷を持って疲れる時、主が私たちのたましいを生き返らせてくださいます。
私たちが新しい日に向かう時、神様は、「彼は疲れているけど、私が彼に力をこれぐらい与えると、彼は何となく今日のチャレンジを乗り越えるかなぁ」と言いません。
むしろ、神様は私たちを本当に生き返らせてくださいます。
私たちの羊飼いとして、神様は私たちを正しい道に導いて下さいます。その道がいつも楽しいわけではありません。ダビデが言ったように、時々その道は死の陰の谷を通ります。その時が暗くて、私たちが希望がないと思います。
でも、ダビデは言います。「その暗い所を通る時、死に向かっても、私は決して恐れない。」
どうしてでしょうか。
「あなたが私とともにおられますから。」
また、ダビデは歌います。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。(4)
羊飼いは、羊をライオンや狼から守るため、むちを使いました。また、羊を導くため、杖を使いました。
だから、ダビデの意味は「暗い時でも、あなたの守りと導きが見える」ということです。
神様は私たちの全ての逆境を取り去らないかもしれないけど、ダビデは私たちの必要とそれよりも与えてくださると言います。だから5節に、彼はこう歌います。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。(5)
そして、信仰と喜びによってダビデは歌いました。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。(6)
あなたはどうですか。神様はあなたの羊飼いでしょうか。神様だけにあって、あなたは私たち皆が求める平安と喜びと満足が見つけられます。