マラキ書1章6-14節ーー神様が値するもの

この箇所で、私たちはユダヤ人の主な問題を見ます。その問題はユダヤ人のすべての行動に影響を与えました。

その問題は何だったでしょうか。彼らは神様を敬わなかったのです。神様を全然恐れなかった。神様が大いなる方、また大いなる王なのに、ユダヤ人はそのように思わなかった。

だから、神様は彼らに訊きました。

子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、わたしが父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるのか。もし、わたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。(6)

驚くべきことに、祭司たちは訊きました。「一体何を言っているのだろうか。どのように私たちはあなたを敬わないでしょうか。どのようにあなたの名前をさげすんでいるでしょうか。」

多分、彼らはこのように思いました。「私たちはちゃんと仕事をしている。私たちはいけにえを捧げている。しなければならないことをしている。この上、神様は一体何を求めてるだろうか。」

でも、神様は答えた。

あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。――万軍の主は仰せられる――(8)

神様は律法をモーセとイスラエル人に与えた時、いけにえのために傷のない健康な動物を要求しました。

でも、ユダヤ人は神様を敬わずに、彼らが要らない足のなえたものや病気のものを与えました。

だから、神様は言いました。「あなた方は、総督を私よりも敬います。私があなたの王なのに。あなたの総督は最も良い物しか受け入れないのに。どうして、私がこんな悪いものを受け入れると思うのだろうか。」

それに、ユダヤ人はこう言いました。

主の食卓は汚れている。その果実も食物もさげすまれている。。。見よ。なんとうるさいことか。(12-13)

彼らは愛によって、捧げものを捧げなかった。むしろ、捧げるのは彼らにとっては、めんどくさいことになりました。だから、神様を敬わずに、自分の行動を通して、神様をさげすみました。

でも、神様は彼らに言った。

わたしが大いなる王であり、わたしの名が諸国の民の間で、恐れられているからだ。(14)

あなたはどうですか。神様についてどのように考えているでしょうか。神様との関係で私たちはバランスを取らなくてはならない。

イエス様は「わたしはあなたがたを友と呼びました」と言いました。(ヨハネ15:15)

多くのクリスチャンはその真実が大好きです。王の友になることは、素晴らしい特権です。

それでも、私たちはイエス様が大いなる王であることを覚えていなくてはならない。私たちの王として、イエス様は私たちの敬いに値します。

だから、私たちの最も良いものをイエス様に捧げるべきです。私たちのお金だけではなく、私たちの時間や、私の人生を捧げるべきだと思います。

あなたは神様に何を捧げているでしょうか。神様が値する敬いを捧げているでしょうか。

 

広告

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: マラキ書, 十二小預言書, 旧約聖書 タグ: , , パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中