マラキ書1章1-5節ーー神様の愛を疑う事

マラキ書は旧約聖書のイスラエルの歴史の話の終わりです。マラキ書の後、詩書(詩篇、箴言と雅歌)があるので、多分この年末までに、新約聖書のブログを始めます。

以前言ったように、いつマラキ書が書かれたのか、誰も分かりません。でも、きっと主の宮が建て直された後で、書かれたものだと思われます。だから、多分、マラキ書はエズラとネヘミヤの時代に書いていました。

エズラ記とネヘミヤ記で、私たちはイスラエル人の問題について読みました。特に、ネヘミヤ13章では、彼らにはいろんな問題がありました。

マラキも、その問題についてイスラエル人を責めました。

最初に、神様は本当に印象的なことを言います。

わたしはあなたがたを愛している。(2)

私たちの多くは愛を求めます。残念なことだけど、たくさんの人はその愛を決して見つけません。でも、神様を求めたら、ただの愛ではなく、絶えることのない愛を見つけたことでしょう。

わたしはあなたがたを愛している。

あなたがどんな苦しみがあっても、どんな罪を犯しても、どんなに失敗しても、神様の愛は決して変わりません。神様はあなたを愛していた。今でも、神様はあなたを愛している。そして、いつまでも、神様はあなたを愛します。

でも、イスラエル人はそのことがわかりませんでした。だから、彼らは皮肉ぽっく答えました。

どのように、あなたが私たちを愛されたのですか。(2)

どうして、彼らはその質問を訊いたでしょうか。神様が彼らを自分の国に導いたのに、彼らの人生はまだ上手くいっていなかったから。ペルシャ帝国はまだイスラエルを治めていたし、イスラエルはあまり繁栄していなかった。彼らの作物はあまり良くなかったし、毎日、彼らはいっぱいいっぱいの生活を強いられていました。

どれぐらい、私たちも神様の愛を疑うでしょうか。

「あなたが私を愛しているなら、どうして、私はこんなに苦しまなければならないのだろう。あなたが私を愛しているなら、どうして私の人生はこんなにみじめなのだろう。」

でも、神様は自分の愛を証明するために、イスラエル人、また私たちにこう言います。

エサウはヤコブの兄ではなかったか。――主の御告げ――わたしはヤコブを愛した。わたしはエサウを憎み、彼の山を荒れ果てた地とし、彼の継いだ地を荒野のジャッカルのものとした。(2-3)

「エサウを憎み」というのはどういう意味でしょうか。神様は本当にエサウを憎んだでしょうか。違います。実は、神様はエサウを祝福しました。(創世記33:9)

でも、神様がどのようにイエス様をこの世に送るかについて考えてみると、エサウの家系を断絶して、ヤコブの家系を選んだことがわかります。

どうしてでしょうか。ヤコブはエサウよりも良い人だからでしょうか。違います。実は、ヤコブは若い時は詐欺師でした。彼は神様の道を行かずに、自分の道を行きました(25,27)。そして、彼の悪い決断のせいで、彼は自分の家から逃げなくてはならなかった。その時、神様は自分自身をヤコブに表した。それでも、ヤコブは自分の人生を神様に奉げずに、神様と交渉しようとしました。(創世記28:20-22)

ヤコブは長い間そのように生きました。それでも、神様は彼を選んで、愛して、彼の人生に働き続けました。

そのように、神様はイスラエル人を愛していました。彼らが神様に不実でも、自分の道を行っても、神様はまだ彼らを愛していました。もちろん、神様は彼らを懲らしめました。だから、彼らはバビロンに追放されました。でも、彼らが破滅に値していたのに、神様は彼らを憐れんだ。

エサウの子孫も罪を犯して、破滅に値していた。でも、彼らの場合、神様は彼らが値するものを与えました。つまり、荒れ果てた地を与えました。

神様は何を言っていたでしょうか。

「あなたに対する私の愛の証明を見たいだろうか。私はエサウの子孫に彼らが値したものを与えた。でも、あなたにあなたが値したものを与えなかった。むしろ、あなたが値しないものをあなたに与えました。あなたに恵みを与えました。」

私たちが神様の愛を疑う時、神様は同じことを言います。私たちは神様の愛に値しないです。神様の赦しに値しないです。でも、私たちが神様の愛に値しなかったのに、神様はイエス様を送りました。そして、イエス様は私たちの罪のために死んでくださいました。

だから今、神様はあなたを見て、こう言います。「あなたを選びました。あなたを救いました。あなたを決して捨てません。」

それは恵みです。それは神様の愛です。

パウロはこう言いました。

すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ[た]。(エペソ1:4-8)

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I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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