この箇所では、ゼカリヤはもう一度幻を見ました。その幻は、イスラエルの罪が清められることについてです。
最初の幻では、ゼカリヤは飛んでいる巻き物を見ました。その巻物の両面に呪いが書いてありました。一つ目の呪いは、盗む者のためでした。二つ目の呪いは、偽って誓う者のためでした。
その巻物は十戒から二つの命令について話すけど、多分、その二つの命令は十戒のすべてを表しました。ヤコブはこう言いました。
律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。(ヤコブ2:10)
おそらく、イスラエル人はその二つの罪に関して、特に罪のある人たちでした。もしくは、その二つの罪には、もっと広い意味がありました。つまり、彼らは隣人を傷つけたし(盗むこと)、神様の聖さを侮りました(神様の名前によって偽って誓うこと)。
この幻に関して、二つのことに注目してください。
一つ目は、その巻物の大きさという事です。その巻物はとても大きかった(その長さは9メートルぐらい、その幅は4.5メートルぐらい)ので、誰も「裁きが来ていることを知らなかった」と言えないです。だれでも、その巻物を読むことができました。
二つ目は、その裁きは確かなものということです。神様はこう言いました。
わたしが、それ(つまり、呪い)を出て行かせる。――万軍の主の御告げ――それは、盗人の家に入り、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家に入り、その家の真ん中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。(4)
そして、ゼカリヤはもう一つの幻を見ました。ゼカリヤは穀物のための枡を見ました。でも、その中には、穀物ではなく、イスラエル人の罪がありました。その枡の中に女の人も座りました。その女の人は罪の原因を表しました。
どうして女の人でしょうか。ひとつ考えられるのは、イスラエル人は周りの国々の女神を礼拝したから。もしくは、イスラエル人の男性たちは偶像礼拝している女の人と結婚したから。(マラキ2:11-12、エズラ9章)
とにかく、天使はその女の人を枡の中に閉じ込めました。そして、二人の女性たちはその枡をシヌアル(つまり、バビロン)に持っていきました。なぜなら、バビロン人はその女の人を喜んで受け入れるから。
私たちは何を学ぶことができるでしょうか。一つ目は、神様が悪に対処する日が来ることです。サタンは、できる限り神様と戦うけど、結局彼は打ち負かされます。
二つ目は、私たちの中の罪を清めるべきだという事です。神様は罪に対する自分の感情を私たちにはっきりと教えました。神様は裁きが来るとはっきりと警告しました。私たちは「知らなかった」と言うことはできません。
だから、パウロはこう言いました。
いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。(第二コリント7:1)
もちろんバランスを取らなくてはならないです。つまり、自分の努力だけによって自分自身を清めることはできません。それは無理です。でも、神様は私たちが聖なる人生を生きる力を与えてくださいます。(第二ペテロ1:3-4)
そして、神様がイスラエルから悪を取り除いたように、私たちが神様に従うと、神様は私たちの人生から罪を取り除きます。
だからパウロはこう書きました。
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。(第一テサロニケ5:23-24)