エレミヤ30章ーー天の父に近づくためにいのちをかける者

エレミヤは、エルサレムの没落について預言したけど、その民に希望の言葉を伝えました。つまり、神様は彼らを懲らしめるけど、まったく滅ぼさないという事です。(10-11)

しかし、エレミヤは彼らの状況を正直に説明します。

あなたの傷はいやしにくく、あなたの打ち傷は痛んでいる。あなたの訴えを弁護する者もなく、はれものに薬をつけて、あなたをいやす者もいない。あなたの咎が大きく、あなたの罪が重いため、わたしはこれらの事を、あなたにしたのだ。(12-13,15)

でも、神様は救い主を送ることを約束します。

その権力者は、彼らのうちのひとり、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。――主の御告げ――あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」見よ。主の暴風、――憤り。――吹きつける暴風が起こり、悪者の頭上にうずを巻く。主の燃える怒りは、御心の思うところを行なって、成し遂げるまで去ることはない。終わりの日に、あなたがたはそれを悟ろう。(21-24)

この箇所はイエス様についてです。私は21節が好きです。神様は訊きます。「わたしに近づくためにいのちをかける者は、いったいだれなのか。」

エレミヤの時代に、誰も神様に近づくことができなかった。一年に一回、大祭司はその権利がありましたけど、エレミヤの時代には、祭司たちは偽物の神々を礼拝していました。

でも、神のひとり子として、イエス様は天の父に近づいて、私たちのためにとりなすことができます。イエス様は破れ口に立って、十字架の上で、私たちの罪のために神様の怒りを受けて、死にました。だから、私たちに対する神様の怒りは静められました。

だから、もし私たちがイエス様を信じるなら、私たちは恐れずに天の父に近づくことができます。へブル人への手紙の著者はこう書いた。

こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。(へブル10:19-23)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: エレミヤ書, 大預言書, 旧約聖書 タグ: , , パーマリンク

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