エゼキエル書1-3章ーー相手が聞いても、聞かなくても

ああ、良かった。年代順に書いてある本です。:)

エレミヤ書は本当に大変です。いつもあっちこっちに飛ばなくてはならないから。

とにかく、エホヤキン王(最後から二番目のユダの王)が捕囚となって連れて行かれてから五年目の時、エゼキエルは預言し始めました。

エゼキエルは、エホヤキンとほかのユダ人たちと一緒にバビロンに追放されました。エゼキエルは祭司の息子で、30歳になって、祭司として仕え始めるはずだったけど、神様は彼を預言者として呼びました。

エゼキエルは最初にケルビムという天使を見たようです。ケルビムは四つの顔を持っていた。彼らは、人間の顔と獅子の顔と牛の顔と鷲の顔を持っていた。たくさんの聖書学者は、その顔がイエス様を表すと考えています。

マタイの福音書では、イエス様はユダの獅子として表された。つまり、イエス様は王です。

マルコの福音書では、イエス様は牛として表された。つまり、イエス様はしもべです。

ルカの福音書では、イエス様は人間として表された。つまり、イエス様は人の子です。

ヨハネの福音書では、イエス様は鷲として表された。つまり、イエス様は神の子です。

ケルビムは神様の全知も表す。(4つの顔は別の方面に向けたので、何でも見えました。)

またケルビムは神様の偏在も表した。(彼らは一つの輪が他の輪の中にあって、どこにも行くことができた。)

そして、神様は表れて、エゼキエルに話します。

最初に、神様は言った。

人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの民、すなわち、わたしにそむいた反逆の国民に遣わす。彼らも、その先祖たちも、わたしにそむいた。今日もそうである。彼らはあつかましくて、かたくなである。わたしはあなたを彼らに遣わす。あなたは彼らに『神である主はこう仰せられる』と言え。彼らは反逆の家だから、彼らが聞いても、聞かなくても、彼らは、彼らのうちに預言者がいることを知らなければならない。人の子よ。彼らや、彼らのことばを恐れるな。たとい、あざみといばらがあなたといっしょにあっても、またあなたがさそりの中に住んでも、恐れるな。彼らは反逆の家だから、そのことばを恐れるな。彼らの顔にひるむな。彼らは反逆の家だから、彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしのことばを彼らに語れ。(3-7)

神様はエゼキエルに二つのことを言った。

一つ目は、神様はエゼキエルをイスラエル人に遣わすことです。

二つ目は、イスラエル人がエゼキエルのメッセージを聞いても、聞かなくても、エゼキエルはそのメッセージを伝えなくてはならなかったことです。

神様は私たちに同じことを言います。神様は私たちを周りの人々に遣わしている。私たちが神様のメッセージを伝える時、聞く人もいれば、そうではない人もいます。でも、彼らが聞いても、聞かなくても、私たちはそのメッセージを伝えなくてはならない。

そして、神様はエゼキエルにこう言った。

あなたの口を大きく開いて、わたしがあなたに与えるものを食べよ。(2:8)

神様はエゼキエルに巻物を与えた。でも、その巻物に幸いな言葉は書いていなかった。むしろ、「哀歌と、嘆きと、悲しみとがそれに書いてあった。」(2:10)

つまり、その言葉は裁きの言葉でした。なぜなら、イスラエル人たちは罪を犯したから。

エゼキエルがその巻物を食べて、その言葉は蜜のように甘かった。

私たちも、神様の言葉を受け入れるべきです。私たちはその言葉を味わうべきです。でも、その言葉を自分のために持たずに、周りの人々にシェアしなくてはならない。もちろん良い言葉もシェアするべきです。でも、警告もシェアするべきです。どうしてでしょうか。

神様はエゼキエルにこう言いました。

人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。

わたしが悪者に、「あなたは必ず死ぬ」と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。

もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。

もし、正しい人がその正しい行ないをやめて、不正を行なうなら、わたしは彼の前につまずきを置く。彼は死ななければならない。それはあなたが彼に警告を与えなかったので、彼は自分の罪のために死に、彼が行なった正しい行ないも覚えられないのである。わたしは、彼の血の責任をあなたに問う。

しかし、もしあなたが正しい人に罪を犯さないように警告を与えて、彼が罪を犯さないようになれば、彼は警告を受けたのであるから、彼は生きながらえ、あなたも自分のいのちを救うことになる。(3:17-21)

神様は何を言っているでしょうか。私たちは神様の見張り人です。だから、私たちは人々に「罪を悔い改めなさい」と伝える責任があります。

彼らが聞いて悔い改めたら、救われます。もし彼らが聞かないと、彼らは滅びるけど、神様は彼らの血の責任を私たちに問わない。

でも、もし私たちが彼らに警告しないと、神様は彼らの血の責任を私たちに問います。

私たちは周りの人々の神様のメッセージに対する反応をコントロールすることができません。

でも、彼らが聞いても、聞かなくても、神様は私たちにそのメッセージを伝えるように命令します。

私たちの友達や、同僚や、家族に伝えるべきです。そのメッセージを聞いて救われる人もいれば、そのメッセージを聞かずに滅びる人もいます。

でも自分自身にこの質問を聞いてください。「私は神様が命令したことをしているでしょうか。私は周りの人々に神様の裁きと救いについて伝えているでしょうか。」

あなたはどうですか。

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: エゼキエル書, 大預言書, 旧約聖書 タグ: , , , , パーマリンク

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