なぜ私は、エレミヤ書とオバデヤ書の箇所を混ぜているでしょうか。それは、オバデヤ書を読んだら、このエレミヤの箇所に似ているから。例えば、エレミヤとオバデヤは同じ表現とイメージを使います。だから、多分オバデヤはエレミヤの言葉を知っていたかもしれない。また、エレミヤはオバデヤの言葉を知っていたかもしれない。一人の聖書の著者が別の聖書の著者を引用することは、珍しいことではありませんでした。
もしくは、神様はオバデヤに「エレミヤの言葉を覚えていますか。彼が言ったことをもう一度書きなさい」と言ったかもしれない。(逆の可能性もあります。)
もしくは、彼らが相手の預言を知らなかったけど、神様は彼らに同じメッセージを伝えたかもしれない。それも珍しいことじゃない。
とにかく、神様はユダの周りの国々を裁いています。多分、エレミヤ書27-29章の出来事が起こったとき、この預言が書いてあったと思う。27-29章では、エレミヤはその同じ国々にネブカデネザルに降伏するように警告した。
どうして神様はその国々を裁いたでしょうか。神様は3つの理由を与えた。
1.偽物の神様を礼拝すること。例えば、モアブ人の神はケモシュでした。またアモン人の神はモレクでした。すべての国々は本当の神様に背を向けて、自分の神々を礼拝した。
2.プライドのこと。神様はモアブについてこう言った。
おまえは自分の作った物や財宝に拠り頼んだので、おまえまで捕らえられ[る]。。。私たちはモアブの高ぶりを聞いた。実に高慢だ。その高慢、その高ぶり、その誇り、その心の高ぶりを。「わたしは、彼の高ぶりを知っている。――主の御告げ――その自慢話は正しくない。その行ないも正しくない。」(エレミヤ書48:7、29-30)
アモンについて神様はこう言った。
裏切り娘よ。あなたの谷には水が流れているからといって、なぜ、その多くの谷を誇るのか。あなたは自分の財宝に拠り頼んで、言う。「だれが、私のところに来よう。」(エレミヤ書49:4)
神様はエドムにこう言った。
あなたの心は高慢だ。あなたが鷲のように巣を高くしても、わたしは、そこから引き降ろす。(エレミヤ書49:16)
そして、神様がケダルとハツォルという国について話したとき、神様はネブカデネザルに命令した。
さあ、安心して住んでいるのんきな国に攻め上れ。――主の御告げ。。。(エレミヤ書49:30-31)
3.その国々は、憐れみと情けを全然知らなかったこと。イスラエルが倒れた時、モアブ人はイスラエル人をからかった(エレミヤ書48:27)。また、アモン人は追放されたイスラエル人の土地を奪いました(エレミヤ書49:1)。
そして、エドム人はイスラエル人の「兄弟」なのに、イスラエルが攻撃されたとき、エドムは全然助けてあげなかった。むしろ、イスラエルが倒れたとき、エドム人たちは喜んでいた。(エドムはエサウの子孫でした。イスラエル人はエサウの弟ヤコブの子孫でした。)(オバデヤ12-13)
偶像礼拝。プライド。情けと憐れみのない心。あなたはそのような罪を犯すでしょうか。
仏壇を拝むでしょうか。もしくは、すべてのことよりもお金を大事にするでしょうか。あなたが一番大事にするものはあなたの神です。
プライドはどうですか。あなたは何に信頼するでしょうか。自分自身に信頼するでしょうか。また神様に信頼するでしょうか。ナルニア国物語の著者C・S・ルイスはこう言った。「プライドは一番悪い罪です。ほかの罪よりも、プライドは私たちを神様から離すから。なぜなら、プライドによって、私たちは神様がいらないと思うから。そのプライドによって私たちは神様に背をむけます。
あなたには情け深くて、憐れみ深い心あるでしょうか。パリサイ人と律法学者にはそのような心がなかったので、イエス様は彼らを厳しく批判した。イエス様は「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」と言いました。
パリサイ人と律法学者は神様を愛していると言ったけど、周りの人々を愛していなかった。
あなたはどうですか。あなたの周りの人々を愛しているでしょうか。もしくは自分自身だけについて考えるでしょうか。
神様、私がその国々の民のようにならないように。私はプライドだらけの心が欲しくない。偽物の神々を礼拝したくない。憐れみと情けのない心が欲しくない。
神様、あなたはその罪のために、その国々を裁いた。あなたはそのような罪を憎みます。私もそのようなことを憎むように。
私があなただけに礼拝するように。私がへりくだりの心があるように。私が情け深くて憐れみ深い心があるように。私があなたのようになるように。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。