列王記第二20章12-21節;歴代誌第二32章:24-33;イザヤ書39章ーー神様の恵みを忘れること

この箇所を読んだ時に私が驚いたのは、神様がいろんな不思議な方法でヒゼキヤを助けたのに、ヒゼキヤはその恵みを忘れたという事です。

ヒゼキヤの病気とこの話のタイミングはちょっと分からない。最初私は、セナケリブの敗北の後で、この話が起こったのかと思いました。でも、この話はヒゼキヤがエジプトと同盟を結ぶ前、このことが起こったかもしれません。

歴代誌第二32:35で、こう書いてあります。

ところが、ヒゼキヤは、自分に与えられた恵みにしたがって報いようとせず、かえってその心を高ぶらせた。そこで、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。

ヒゼキヤはどのように高ぶったでしょうか。神様はヒゼキヤの病気を癒した後で、バビロンからの使者が来た。なぜなら、彼らは神様がヒゼキヤのために何をしてくださったか聞いたから。でも、ヒゼキヤは神様を誉めずに、自分の富、つまり、金と銀と武器と宝物を全部見せた。

だから、イザヤはヒゼキヤにこう言った。

万軍の主のことばを聞きなさい。見よ。あなたの家にある物、あなたの先祖たちが今日まで、たくわえてきた物がすべて、バビロンへ運び去られる日が来ている。何一つ残されまい、と主は仰せられます。また、あなたの生む、あなた自身の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官となる者があろう。(イザヤ39:5-7)

多分、その日バビロン人はその富を見たので後で、その富を得るためにユダに攻めようと思い始めた。

それだけではなくて、ヒゼキヤはバビロン人に神様の恵みについて伝えるチャンスを捨てた。もし伝えたら、彼らは悔い改めて、神様に従い始めたかもしれない。

私たちが神様の恵みを忘れると、そのようなことが起ころかもしれない。私たちの持ち物や私たちが何をしたかを自慢して、その祝福がどこから来たかを忘れてしまうのです。

そして、他の人々が私たちの祝福を見る時、私たちは神様が与えてくださった恵みを忘れて、私たち自身がどのようにそれらを得たのかを自慢してしまう。だから、彼らは私たちが仕える神様を誉めずに、私たちを誉めてしまう。

あなたはどうですか。他の人々があなたを見る時、その人たちはあなたを見て感動するでしょうか。あなたの成功を誉めるでしょうか。

もしくは彼らがあなたを見ると、神様を求め始めるでしょうか。

神様の恵みを忘れないでください。むしろ、謙遜な態度を持って、いつも神様に感謝して、神様から受けた恵みを周りの人々に分けましょう。

 

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I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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