ミカ書2章1-5節ーー私ができるから

この箇所では、神様は人々を傲慢の罪のために責めています。

時々人々は罪を犯すけど、意図して犯さない場合もあります。例えば、私たちは急に怒って、悪い方法でその怒りを表現したりします。

でもこの箇所では、その人々は自分の罪を計画した。そして、その計画を果たした。罪を犯していることを良く知っていたのに気にしなかった。彼らはその計画を果たすことができたからしました。

だから神様は言いました。

ああ。悪巧みを計り、寝床の上で悪を行なう者。朝の光とともに、彼らはこれを実行する。自分たちの手に力があるからだ。(1)

でも、神様は警告した。「裁きが来るよ。そしてその裁きから逃げられない。」

見よ。わたしは、こういうやからに、わざわいを下そうと考えている。あなたがたは首をもたげることも、いばって歩くこともできなくなる。それはわざわいの時だからだ。(3)

どれぐらい私たちはあえて罪を犯すでしょうか。つまり、罪を犯す機会があるし、誰も知らないし、誰も私たちを止められないから、私たちは罪を犯す。

例えば、昔はポルノを見たいなら、店で買わなくてはならなかった。でもそうすると、他の人々はあなたの罪を見ることができたから、クリスチャンにとっては恥ずかしかった。でも今は誰も知らずに、人々はインターネットでポルノを見ることができるから多くのクリスチャンはその罪に落ちる。

または、たくさんの人々は不倫します。なぜなら、機会があるし、誰も決して知らないと思うから。

でも神様は知っている。そして結局その罪は現れる。この世に現れないかもしれないけど、あなたが死ぬと、その罪が現れて神様はきっとあなたを裁きます。

だから、罪を犯す機会が来ても、逃げてください。罪の機会があってもしてはいけないから。

パウロが言ったように、

また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。(ローマ6:13-14)

bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
カテゴリー: ミカ書, 十二小預言書, 旧約聖書 タグ: パーマリンク

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