この預言はドマ(つまりエドム)とアラビヤに対するものです。そして、その預言によって、神様はこの二つの国に将来の裁きについて警告した。
11節でエドム人は叫んだ。「今は夜の何時か。」
つまり、
「私たちは苦しんでいる。いつまでアッシリヤ人の手によって私たちは苦しんでいるだろうか。」
イザヤの答えは暗いです。「朝が来、また夜も来る。」(12)
つまり、アッシリヤから救われるけど、あなたはちょっとだけ安心する。アッシリヤは倒れるけど、あなたは彼らを倒さない。そして、アッシリヤ人を倒す人々(つまりバビロン人)によって、あなたの人生はもっと惨めになる。(それは紀元前612-605に起こった。)
そしてイザヤはアラビヤも、この預言の一年以内に倒れると警告した。
本当に暗いメッセージだった。
でも、この箇所によって私たちは何を学ぶことができますか。
私たち皆は時々辛い時を経験する。私たち皆は時々苦しむ。
この辛い時は来たり、行ったりします。誰でも人は良い時も悪い時も経験する。でも、神様と関係のない人にとっては、結局エドム人とアラビヤ人のように希望がまったくなくなります。彼らは死ぬと、地獄に行って永遠に苦しみます。
でも、キリストと関係があると、私たちは結局光がある事を知ることができます。パウロはこう書いた。
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。。。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。。。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(ローマ8:18、22-23)
パウロは私たちの苦しみは辛いけど、それは一時的なものだと分かりました。だから、彼の人生には苦しんでもいつも希望があった。私たちにもその希望があります。
私たちの苦しみは永遠に続かない。だから、苦しんだら、神様に向かってください。神様を仰いでください。今でも、聖霊様があなたのために祈っていることを思い出してください。聖霊様は私たちのために祈っているから、
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)
主よ。イエス様によって私たちが希望があって感謝します。私たちが苦しんでも、あなたが私たちの益のために働いていることを感謝します。
でもこの世に、希望のない人々はたくさんいます。だから私があなたの夜回りになるように。私が彼らに裁きについて警告するだけではなくて、あなたからの救いについても伝えるように助けてください。私を通して周りの人々に触れてください。そして、彼らも私たちが受けた恵みを受けるように。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。