イザヤ書12章ーー救いの喜び

ある日曜日、ヨハネ3章についてのメッセージを聞きました。その日、私の牧師は16節を読みました。多分ヨハネ3章16節は一番有名な聖書の箇所です。そして、私の牧師は私たちに訊きました。「この箇所はあなたの心にまだ触れるでしょうか。もしくは、その言葉を聞いても何も感じないようになったでしょうか。」

時々私たちは救いを当然なことだと思います。つまり、救いについて考えても、別に感謝の心を持たない。

どれぐらいあなたは救いの意味について本当に考えるでしょうか。前回はいつだったでしょうか。

この箇所を読むと、私は救いの意味を思い出します。

「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」

見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。(1-3)

子供の時に、私はいつも父の怒りを恐れました。特に私が悪いことをした時に父の怒りを恐れた。

多くの人々は神様についてそのように考えます。神様が彼らを罰すると思うから、神様から隠れます。

でもこの箇所によると、神様を恐れる必要はないです。神様の恵みと憐れみによって、神様の怒りは私たちから去りました。イエス様を通して私たちは罪の罰から救われた。だから、神様を恐れて隠れる必要はないです。むしろ、神様は私たちの喜びと歌になりました。

それだけではなくて、神様は毎日私たちと共にいる。私たちがどこに行っても、何をしても、神様の手は私たちの上です。祝福するために。導くために。また守るために。

私はそのことについてもっと考えるべきです。イエス様にあって、どのような祝福を持っているか覚えているべきです。

感謝するべきものがたくさんあります。そして、この世界は私たちを自由にさせられたメッセージを聞くべきです。

イザヤが書いたように、

主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。(4-6)

主よ。私の救いの喜びを私に返してください。あなたが私のためにしてくださったことを毎日思い出させてください。毎日私をあなたの喜びに満たしてください。そして、私がこの死にかけている世界に、あなたが私のためにしてくださったことを伝えるように。アーメン。

 

 

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bkshiroma について

I'm from Hawaii, but have been in Japan as a missionary/English teacher since 1995. I'm currently going to a church called Crossroad Nishinomiya, an international church in Nishinomiya, a city right between Kobe and Osaka. Check out their website: crossroad-web.com 私がハワイから来ましたけど1995年に宣教師と英会話の教師として日本に引っ越しました。 今西宮にあるクロスロード西宮という国際の教会に行っています。どうぞ、そのホムページを見てください: crossroad-web.com
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