もちろんこの箇所はイエス様についてです。つまり、イエス様はこの世に来て、そして聖霊様がイエス様の上にとどまって、イエス様を知恵と悟りと力に満たした。
そして、イザヤは将来の国について話しました。その時、狼は子羊とともに宿り、子供はコブラの隣に遊び、イエス様はイスラエルを回復し、この世界を義によって治める。
でもこの箇所を読んだ時、私はこう思った。イエス様の上にとどまった聖霊は私たちに与えられた。この同じ知恵と悟りとはかりごとと能力の霊は私たちにも与えられた。
イエス様が約束したのは「私は天国に帰ると聖霊をあなたに送る。その聖霊によってあなたは私よりも素晴らしい業を行う」という事です。(ヨハネ14:12-17)
また、聖霊が私たちにすべてのことを教えると約束した(14:26)。また私たちがこの世に影響を与えるために聖霊が私たちに知恵を与えると約束した。(ヨハネ16:13-15)
今日まで、私は気づいていなかったけど、多分パウロはエペソ人への手紙を書いた時に、この箇所について考えていたかもしれない。パウロの言葉はイザヤ書のパラフレーズみたいです。パウロはこう書いた。
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせ[た」。(エペソ1:17-20)
私たちが神様を知るための知恵と啓示の御霊。心の目がはっきり見えるようになったので、私たちは与えられた望みが分かります。全能の力ある霊は私たちの中に働いていることです。その力によって神様はキリストをよみがえらせた。
時々、私たちは「どうして神様はこの世の中にもっと働かないの?」と訊きます。
一つの理由は聖霊に満たされたクリスチャンはあまりいないからです。知恵と悟りと力に満たされたクリスチャンは少ないです。また神様を恐れるクリスチャンはあまりいないです。
むしろ、私たちはこの世の物で私たちの人生を満たそうとする。私たちは仕事や趣味に集中しすぎる。私たちは聖霊の力に満たして生きずに、空っぽで生きます。だからこの世界は死にかけている。
でも、イエス様の上にとどまっていた同じ聖霊は私たちもアクセスできる。あなたは聖霊に飢えているでしょうか。聖霊を求めているでしょうか。聖霊に満たされることを望んでいるでしょうか。そうすると、私たちの人生だけではなくて、この世界も変わります。でもそうしないと何も変わらない。
あなたはどうですか。あなたは空っぽでしょうか。あなたは聖霊に飢えているでしょうか。
私たちが求めると、きっと満たされます。
イエス様は言った。
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。(ルカ11:13)
イエス様、私は空っぽです。ずっと私は聖霊なしで生きようとした。でも今聖霊で私を満たしてください。私があなたにもっと飢えるように。私があなたをもっと知るために、私に知恵と啓示の御霊を与えてください。私がこの世に影響を与えるために、能力の御霊に満たしてください。空っぽの人生に飽きています。今日、また毎日、私を満たしてください。アーメン。